To be continued

単純な日記です。

僕はとにかく、結婚がしたい。

正月ボケが治まらぬままに仕事をして、昨日は半日ほど休みがあったので日中から酒を飲んだりなどしていた。夕方、友人から呼び出されて飲みに行く。去年まではまったくつながりなどなかった人たちの中に入れ込まれていろいろな話を聞いたり、させられたりなどして、人の繋がりというものや個性なんかを感じたりしていた。僕は酒が好きだから基本的に飲み会というのは好きだけれど、会話が固定化してくる狭き集まりや、飲み会後に何度もLINEをしてくる女性なんかがいて、そういう時は飲み会もろともで行ったことに対して後悔のかたまりみたくなってしまう。…言っていいのか分からないけれど、とにかく一挙一動に感想を述べられるみたいの、僕は好かない。けどマザーコンプレックスのある子なんかは、こういうことを好き好んでやりたがる。僕は、粘着質に分析されながらも感じていたのだが…一応言いたい。男っていうのは、もっともっと放し飼いにして置いた方が結局は懐くし、元気になるし、相手のことを勝手に想像して盛り上がってくれるものなんだってことを。色んなことを先読みし、性格を分析し、お世話されたりするのなんてこの年になってもまったく求めていない俺がいた。なんとなくで僕も、疑心暗鬼が募っていて面白くないこと言ったり、してしまってたのかな…みたいな後悔が飲み会の直後ではけっこうあり、LINEには返事を返すこともあったけど、なにか、こいつ、本当にまじで「高瀬は二十四時間営業」と思ってるの?と思えてきて、その後ラインを返すことはしなくなった。僕だって普通に勉強していたい時もあれば詩の世界にどっぷり浸かっていたいときもある。
「カワイイ」「モテる」についての話をしたりもした。僕の場合、カワイイの基準は世間一般からけっこうずれていると思う。けど、いちど可愛いと思ったら他人の評価や一般的基準は別に気にならない。モテるについてもこれは、けっこう眉ツバだよなと思っていて、普通に、まったく気にならない人から声をかけられたことを「モテ①」としてカウントする人ってこの世に存在するんだなということにむしろ驚いていた。僕の場合、自分の意中の人のこころを問題にしているため、「モテる」「モテない」について考えたことも、話題にしたこともない。
とにかく一人でいる時の時間の長さに僕は驚く。目的も理由もなくしたままに忙しいのを幸福だとは思いたくないが、一日、一人で過ごすにしては時間というのは有り余ると思う。朝、起きて新しい赤子みたいな気持ちで過ごしたあと、昼、折り返し地点でそれなりに心機一転の心持ちになり、けどそれ以後、滑降していくみたいに時間をすべり落ちて行って、夕方くらいになると、歳を取ったクソジジイみたいにやさぐれた気持ちになっているのが僕はいつも、何故なのかわからない。僕は、一日十五時間くらいでいいよと何度も思った。

とにかく、長過ぎる時間を持て余してきたがゆえ、僕はまだ正月だしってことで酒を飲んだりして過ごしていた。こんな怠惰なことってない。

仕事へ行くと、それなりに混んでいた。常連さんが来たり、新規の人が来たり、本社の人が挨拶に来たりしてくれてここでも人のつながりというのを感じる。本社の人に求めているもの、特にないけれどやっぱり挨拶って大切だよなと思う。たとえば正体不明の壺よりも、きちんとした人が持ってきてよろしく頼まれた壺の方を大切にしたいと人は思うものだろう。で、しゃかりきに仕事をしていたときにふと、Sくんがなんとなく、何もかもどうでもいいモードに入っているように思えた。なんとなく、ふてっているというか、口数も少ないし動作が乱雑になってきている。こういうモードを持つ人というのはアルバイト生活の中にごくたまに居るもので、「俺は大変なんだぜ」という空気を全身から発散しているのがこのモードの特徴である。僕は、Sが何もかもどうでもいいモードになっているのを見て「こいつ、面倒くさいな」と感じたので、黙ってやり過ごすことにした。僕の思ったことには「そういうのは、ギブアンドテイクだろうが…!」ということであった。もし、Sが僕のために何かしらを率先してしてくれるくらいの優しいこころを持ち得ていると僕が感じているとき、そのギブはたやすく行われている。けどS、おまえはとくに何もしてないだろう。僕は言いたかった。つねづね、おまえのやりたいようにやってるだけやろがと。とにかく僕は、こうやって何かわかりやすいものを分かり安過ぎるジェスチャーでもって求められていると感じ取ったとき、それを死ぬ気でやりたくない自分がいるのである。30分…一時間…三時間して、Sは僕に「高瀬さん」と話しかけてきた。僕はその瞬間、「勝った」と思った。勝った。何か知らんが、Sが自ら入りたくて入った何もかもどうでもモードの供物に僕はならなかった。勝った勝った。
「高瀬さん、何か…ザッピングする人ってムカつかないですか?」
「ザッピングって、テレビをパチパチ変えるみたいなやつ?」
「はい。ザッピング、俺すごいムカつくんですよね。」
「ふーん。」
Sは、僕を見た後で後ろを向いたかと思うと、向こうにいるアルバイトL(学生、おんな)の方へ向かって歩いて行った。きっと僕から思った通りの答えを得られなかったと思って、Lさんに同じ質問をしに行くのだろう。僕はこのとき、あれっと思った。あれ…何か、これは前に一度も感じたこと、あったな…みたいな感覚。これは、既視感だ。この何の過失もないのにうち捨てられて、その後人が目の前で話し込むみたいな感覚、なんだったっけな…いつだったっけな…って考えてて、思い出した。お正月、実家に帰ったとき姪(7歳)が僕のとこ来て「レリゴーってどういう意味?」と聞いてきたときだ。僕は、その時、お正月番組を見ながら自分の好きな干し柿を食べつつ、いろいろなことに頭を回らしながら考えたのだけど、こういうことに対して正解など実はないのだとそのときに思った。けど姪は、僕に失望したかのように身を翻してそのまま、そのへんにいた僕の姉の方に行って同じ質問をしたものだからその場は一瞬あたたかき失笑の気分で満たされてしまっていて、僕はその後で、こんなふうに思ったのだった。つまり、質問とか相談っていうのに対して、全世界共通とされる正義を求めてされてるのでも、てめえの心情を聞いているのでもなければ、相手が納得出来るとりあえずのanswerを求めているのであって、もしそういうフィールドがそこに生じた時は、積極的に相手の今の気持ちの方を予測して計算して出した答えで頭をしこたま撫でるみたいなことをした方が、実はわかりやすくて良いのだということである。
その後で「でも、小説書きたいんだよな俺は」とも思った。