To be continued

単純な日記です。

トリトメモネーニッキ

仕事と、家にこもって何かを書くことばかりしているとどうしても運動不足になってくる。体力を使う仕事だったらいいけれど、事務作業が多く、しかも室内ばかりで過ごしているためか最近僕の肌の色が見たことのないブタくらい冴え冴えと白くなって来ていて、我ながら気色悪いなと感じる。最近、特に寒いし、なかなか用事がない限り外へ出ないため、今日はウォーキングでもしてみようと思って朝、早く(五時)起きてみることにした。
常々、ウォーキングしている人を見ている人思うのだが、ああいう人たちは「ウォーキングしてますッ」っていう気分になるために、スマートウォッチだったり、キャップだったり、ウエアを買ったりするのだなと思う。だいたい、そうでないとまず目的地がないためのウオーク、している間じゅうで「なにやってるんだっけ?」みたいになってくる気がする。そのため、ブレないためのウエアーだったり、キャップだったりを身につけたりするのだろう。僕の叔父もウォーキングを日課としているけれど、とにかく会うたびにウォーキングの話題が多い。たぶんそれは確認なのだと思った。ウォーキングは魚が水中で呼吸するくらいにフツーに生きてるだけの状態なため、「今日、ウォーキング、したっけ?」「ウォーキングっていうけど、歩いてるだけ?」とはならないための意識づけが必要なのだ。だから叔母はいつもウォーキング一日何分みたいな記録付け用の機械と化して彼の話を聞かなければならない。かくいう僕も、「なんで、ウォーキングするんだっけ?」「歩いてる…ダッケッ」と多分五分おきくらいになるだろうと感じたため、あらかじめ買っておいたスマートウォッチをつけて行くことにした。それから、ウエアー→ない、キャップ→ない、ために僕は、とりあえず目標と目的地を設定してみることにした。とりあえずウォーキング初心者の僕は、している間中に「ウォーキングを、やる必要があるのかな?」とはならないために、訪れるための場所、確固たる何かをして帰ってくるみたいな場所を設定した。とりあえずそれは郵便局で、そこで僕はよくわからないが記帳をしてくる設定で行くことにした。

とにかく僕は、なるべく遠くを廻れるようなコースで歩き回ったために、色々な地理や人びとの文化を知ることが出来た。それから、早朝ウォーキングをしている人、意外と少ないなということ。あれ…?と僕は思った。自分のイメージ的には、2、3人くらい、自分が病院とか会社へ行く途中で「只今ウォーキング中」みたいな人に出くわしたような気がしていたのに、今日はというとそういう人はほぼで居なかったのだった。つまり僕はそのことに関してなぜかおぼろげな集合値で考えていたのだ。「まったくいない」「たまにいる」「今日はやたらといる」その記憶を全てあやふやにしたあとで等分し、ウォーキング仲間、何故か分からないがいつもいるッッそういう値を頭が勝手に導き出していたってわけだ。

帰って来て計った歩数を見てみたら、かろうじて七千歩オーバーだった。一万五千歩くらいは行っているかと思ったら、半分にも満たない。僕はがっかりした。
ちなみにウォーキング中に案をねるみたいな人の話を聞いたこともあったけど僕の場合、試してみようとしたけれど駄目だった。何か周りに人や車がいる状態で集中できるようにまではいたらないらしい。多分これは慣れもあると思う。視界に入る景色に慣れ切ってしまい、自分と見えている世界が同一化するくらいまで「ぼへーっ!!」となる状態にならないと無理みたいだ。


で、まあどうでも良いんだけどその後に仕事へ行ったら、なにがエンジンが空回りしているのか調子がよくて仕方がなかった。

昨日、日記をほぼ書けなかったんだけど理由があって、夕方くらいに突如思いついた案を書き留めていたら珍しく止まらなくなったということがあったのだった。
最近いろいろなことがうまくいきすぎているため真夜中、調子こきまくった僕は先輩に電話を掛けて「僕はもしかすると賞を取れるかもしれません」と告げてみたら即で「そんなわけねえだろッぼけ!」という返事をいただいてしまった。…まあ、そうだよね。僕も、ちょっと頑なな部分が多いよなと思う。流れとか、何かエピソードみたいなやつ。

仕事中は、考えてみるとけっこう良い職場だったよなあという感傷に僕は浸っていた。思えば、仕事内容はよくわからないけれど情報源としてこれ程までにちょうど良い場所はなかった。と言っても主に漫画がメインなためにピンポイントで役に立つ情報が得られているとは言い難いところもあるのだけど、でも漫画一つにしても日本人はこういうのを好むんだなとかこういうのが今、流行ってるんだなとか、昔からずっとあるよなみたいなこと、今思えば入る前はまったく知らなかったと言っても良い。この仕事を辞めるに当たって、これまで当たり前に得ていた情報がなくなるのって結構やばいなと思い、僕はあれほどまで自分に規制をかけていたTwitterアカウント、それから読書メーターというアプリへの登録を試みてみた。Twitterではとりあえず読書記録用としての開設である。

それからSくんにも、ねえ、最後に皆で集まって食事とかしないかと持ちかけてみた。俺の家でも別にいいからさ。そういうとS、「エッ」と言ったあとで「全然、良いっすよ」と答えた。
思うのだが、「全然、良いっすよ」じゃねえだろって感じるんですよね。ちゃうやろ。それは俺の提案だけどさあ、SもMも他の人間も言わないからその雰囲気で、押し出されるようにして喋り出し、提案した俺に対して「全然、良いっすよ」じゃねえだろと僕は感じてしまったのだった。こういうときに人間性って僕は現れる気がしていて、僕が腹が立ったのは特にケチだからとかいうわけではない。僕は正直言って、ムッとしていた。「じゃあテメ〜がヤレ〜〜!」くらいには。そのあと、じゃあMさんだ。Mさんならば年の功があるし僕のこの気持ちはわかってくれるだろうと思ったのだ。「Mさん。最後に食事行きませんか。いやその、皆で」Mさんはにっこりと笑って「いいわよ」と言った。僕はは正直、M、おまえもかと感じてしまっていた。いいわよというのはつまり、僕がそこでMに頼み込み、Mがもともとあった予定、葛藤を乗り越えて僕の提案を受けさせられるみたいなニュアンスがあると思う。ちゃうやろ…僕は、しつこいけどまだ感じていた。「いいわよ」じゃないやろ…とにかく僕は、それは僕の意思だけど僕の意思ではないんだと言いたかった。僕は、これで最後、永遠の別れというのムードと、多分皆本当は寂しいのだろうなという雰囲気を、その職場内エンドレス無言の雰囲気から感じ取ったのでしかなく、僕がパーティちたい!ていうそんなアホ小学生みたいな提案をするにいたったのは、とにかく、僕の意思というよりは、そこにあった雰囲気に押し出されるようにされたかたちでしかないんだっていうことだった。僕は、とにかく「ハイ、やりましょー!!待ってましたー!ずっとずっと、待ってましたー!タカセが『ない』んですかって言って困って参るのをー!ぱふぱふパフー!」くらいは言ってくれるかと思っていたのだ。