To be continued

単純な日記です。

社会とカネ

「タカセくんは文芸を目指しているの?」
「はい」
「え、何やってんの?」
「小説とか…その方面です。」
「好きなの?本読むの。本読むの好きそうだもんなあ。ハハ」
「本読むの、実は好きじゃなかったんで、今もそれほどでもないので無理やり頭に入れてます」
「へえ、で、どうなの?ああ、そうなんだ、まだ初めて一年も経ってないじゃないか。ふうん…ああ、じゃあさあ、タカセくんこれ、ちょっと読んでみてよ。これ。経営の本なんだけど、読んでみて、うち、もうアルバイト雇えないかもしれないから。色々研究してみてくれる?」


は?と僕は言いそうになった。でも結局、その本(カネの使い方に関する本で、企業の経営についても載っているやつ)を持ち帰り、読むことになった。その人は、多分僕がバイトのことをいろいろと質問してきたものだから(お、これはいい使い勝手)と思い、僕に何か舵取り役のようなものを少なからず求めて多分、僕に本をくれたのだと思う。内容、まだ五分の一くらいしか読んでいないけれどなかなか分かりやすかった。アルバイトと言っても、毎日働いていると「なんで、こういうものが売れるんだろう」「なんでこういう人が集まるんだろう」みたいな疑問は日々出てくるので、そういうのを考えるのは楽しい。けど僕はなにか、別に何かをしたくてそういう質問をしたわけではなかったのでその本がすごく重く感じられてしまった。僕はというと、毎日本を読んだり、それから絵を見たり、たまに思いついたら詩を書いたりしていて、お金の流れや人の流れみたいなことを、自分の身の回りの範囲で意識的に考えるってことがほぼない。だらしのない人間である。僕という人間は、生きている間特に希望みたいなものを抱いていない。希望がある、ない、というのは人間性にかなり大きなものを与えているような気がしていて、僕自身はもう、ともかく墜落することがあまりにも多過ぎたため、それに対して期待をしない構造が出来上がってしまったみたいだ。以前、もっと仕事に対して希望にあふれていた時、よく交流していた人たちの中にある怨念、みたいなものにずっと触れていたため、体を崩してしまった。半年くらい、僕は布団の中から出られず、電話、Eメール、それから、テレビの人でさえも見るのが嫌になり、一人で大声を上げたりすることもあった。それから小康状態が続き、取り敢えず仕事を辞めたから直接的に僕に気概を加えてくるような人はいなくなった。けど、それは完全な平和ということは出来ない。いま、はっきりいって一生一人で居てもいいという精神状態になっていて、その為に色々な、未来に通じる道筋を閉じる、やがて来る死に向かって生きる方法を模索していた時期がある。いまは、仕事がそこそこ楽しいのでその辺のことは真面目さを欠いては来ている。
けど、この本に出てくるような「コネというのは、資産である」「積極的に、人とランチへ行く」みたいな言葉、見ただけでパンチをくらってしまったみたいな気分になった。
まあ、そうは言っていても普通にごはん食べて普通に服買ったりもしてるんですけどね。けど思うに、たった一人の中にあるあたりまえの理由、紆余曲折というのは、ごく当然な選択の結果で、それしかないのに他人から見るといつ見ても奇妙なのかもしれないなあと思う。
だからこの本を手渡された時も変な感じがしてしまった。僕は、限り無く低体温で生きていたいため、別に何がしたいとか、社会に関わりたいみたいなことを考えていたわけじゃないのだ。文芸をやるというのはそう考えると、もしかするとネガティブな事なのかもしれないなと思った。僕は、社会の皆々様に僕の思想を分かりやすく作り、それを一万枚刷りして歩いて回るようなことをはっきりと、「したい」と言えるんだろうか。正直よくわからない。僕は何かこの辺の意欲みたいのがまるっきり無くて、文芸をみたいに人前で口に出来るようになった事自体がもう、ここ二年でやっとなため、周りの人との温度差がすごいと思った。

いや、けど多分、その人というかこの本の言いたい事はきっと、周り任せになるのでなく、自分で稼いで、ちゃんと分配しなさいということなのだろう。それから、あちこちの管理…とかその優先度…重要度…みたいなこと。うーん!!僕はこの辺り考え出すにおいて、自分が今まで稼いだのって一体どの部分だったのだろうと考えた。以前の仕事は、頭を使って話し合ったり、アイディアを出す…ただそれだけだった。僕は、「アイディアマン」と呼ばれていて、同僚からは「もうそれ以上アイディア出すな」と言われていたくらいだった。あとは、正直言って会社の仕組みにがっぽりはまっていただけで、何も考えていなかったと言ってもいい。僕は、僕が上手くいかなかった理由をかなり漠然と、考えてみたりなどもした。僕からするとそれは「流れ」なのだとしか言えない。コネを作る、と言われても、挨拶を五回して五回無視されたりしたら僕は次会う時そいつのあたまを叩きたくなってしまうし、メールを私用に使いまくっている女みたいの単なるカバだと思ってしまうため本当に、僕はそういうのに愛想をしたり、こねのために頭を下げたりしなければならないのかと思うと、夜うなされて、僕は僕の頭をドライバーでこじ開けて、対社会仕様に作り替えてくださいといつも泣き出してしまいそうなのである。僕は病んでいるのかもしれない。いや、正直、考えてみるともう、大学を卒業してから五年くらいずっとその繰り返しを生きているのかもしれず、とにかく社会というものに向いていないのかもしれない。結局いつも、そのあたりに考えが落ち着いてしまう。