To be continued

単純な日記です。

僕が、下手くそだと言われていたのは知っていた。けどそれ程までとは知らなかったので正直驚いた。僕が揶揄われたり、悪戯をされたりするのには異端というよりも馬鹿にする気持ちも混じっていたんだなあと気付いて、それがよく知っている人が僕を見ない時の温度にもこもっていたんだということを今更のように思い知らされた。僕は僕で、ここに自分の尊敬する人は居ないと感じていた。そこにいる人、うるさい騒ぎ、理解できないいじめ、そういうことより何より、耐えられなかったのはそこに、何の思想もないということだった。僕が耐えられなかったのはいつも、ただそれだけのことだった。生徒はもちろん、先生でさえもそうだった。努力、技術、歴史、そんなことを振りかざして着飾るが、その人自身からの言葉はいつも、僕には届きようがなかった。何かの言葉をもらえなければすぐに怒り、ことを荒立て、下のものに嫌がらせしてくる。仕返しをする。取り戻す?違う、何も考えていないからだ。批評する権利を振りかざして暴力を振るう。その暴力そのもの、痛み、侮辱行為、それよりも、僕を日々傷付け、すり減らせていったのはそこには何の思想もないということだった。僕はもう気力が起こらなくなるのと、怒る気もなくなること、それなのに、ああいつも、どうしようもなく苛々した。僕はつまり、死ぬべき理由もなく、ただそこにある一瞬の彼らが見ている煌めき、それは称賛だったり、尊敬だったり、単なるお互いの視線を受けるための彼らの理由でしかなかった。それをくれ、それをくれ、そう言っていつまでも迫ってくるのに、それはその人自身しかいつも救わなかった。それが文芸。皆が皆、目立ちたがり屋で、目立つためになら何でもやった。





いいえ綺麗な花は枯れ 醜い過程が嘲笑うのです


椎名林檎の歌を聴いていてこんな歌詞があった。その通りだと思う。花はいつか枯れる。それを崇めるのは虚しい。