To be continued

単純な日記です。

思ったんだぜ。

いつの間にか風邪を引いてしまったため、今日は仕事を抜け出して薬を買いに行き、マスクをしながら仕事をしていた。僕の場合風邪をいったん引くと必ず鼻の酷い炎症が来てその後止まらぬ咳が無限に続く感じになってしまう。そのため、最近は早めに咳止めを飲むようにしています。ちなみにこの咳止め、僕の場合パブロンの咳止め錠が一番効きます。病院へ行けばアストミンという抗炎症薬を大量に出してくれたりもしますがこれがまったく効かなかった頃、「対症療法は気休めである。咳というのは自力で治さなければならない」と僕は感じていました。しかし、パブロンを飲むようになってから1日半くらいで咳が止まるようになったのです。

ところで最近、僕はせっかくスペックが高いのに「告白が下手糞なひと」に会ったのですが、せっかく好きならもっと上手くそれを伝えれば良いのになと感じてしまったため、この記事を書き始めました。
告白のコツについて、特に理由などは省いて一気に書いてしまおうと思います。



①ふざけない
告白は、ふざけてはいけない。といっても僕は、ふざけるのが嫌いなわけではない。けど、時に人は真剣さを要する時があると思っていて、それはもはや一歩も引けないことをする時、それから自分の純粋なる気持ちを人に伝える時だと思っている。


俺はーーーーーー!!!



男だからーーーーーーー!!!


純化してみる
これは、最初は難しいかもしれないけれど相手を「すき♡」と感じるときの気持ちを思い出すことでしかない。良い方法として、布団を被るなどして周りの刺激を一切遮断してみる。
そうすることで何がしたいか、どうしたいか、自分達の立ち位置、それが全て見えてくる。


③タイミング
例えば、相手がステーキをこれから食べようとしている時に「好きだって言ってたハンバーグ」を持って行ったとしたら、食欲に関して訳がわからなくなるためむしろ怒られる。


④しつこくしない

⑤趣味を押し付けない
趣味を理解してもらうのも恋愛だけど、絶対に相手が喜ばないようなことを死ぬまでやっている人がいて、僕は意味が分からな過ぎて怖かった。


以上です。こんな感じでどうですか?




話は変わるが、今日は自己啓発系の本を読んでいた。だいたい三冊ほどざっと読んだ。僕は思ったのだけど、ひとが「面白い」と感じる瞬間だったり、ものというのは多分それは「責め」で行ってる部分なのだと思った。僕はそのとき、時間管理術の本を読んでいたのだけど、こういうハウトゥーものというのは個人的な実体験、さらには方法論をつい、並べがちなのだけど、そう言った本はじつは、経験したことのない人やそもそも目的意識の低い人にはなかなか伝わりにくい。なぜかというと、それはつい方法を並べ立てることに気をにとらわれてまず一番最初に設定すべき目的だったり、そうしたいと思えるように感覚の部分を刺激することを怠っているからである。こういうものに共通しているのは「だいたい皆著者と同じモチベーションである、あるいは、そうなるべき」という初期設定で、僕はもともとやる気0パーセントの人間だったものだからまずこの辺からして考慮されてない場合即落第してしまうのである。そのうえ著者の成功体験と他人の失敗例を多く並べ立てるけれどこういうの「更なる排除行為」だとしか思えない。こういう無駄な記述は極小にした上で誰でも使いやすいようきちんと要不要をまとめてくれないと本当カネもったいないぜと思う。たとえば大学へ入る、というだけでもさまざまなやる気度と目的の人がいるのに、方法とやるべきスケジュールを並べられると気が滅入るのでしかない。落ちこぼれるなと言ったって落ちこぼれたくてするのではない。やはり感覚、追い求める心理、疑問を感じる環境、そういうものに投じさせるためには、先に自己実現に似た何か、それも経験したことのある報酬に似た部分があると理解してするような気がする。
「責め」というのは未来に切り込んでいる状態だと思う。つまり、舞台に自ら上がり、そこから降りないままで話し続けることである。そうしている限り、状態としてはかなり盲目で、手探りな状態になる。ともかく、自分の立ち位置、周りの反応が最小限でしかわからないのである。限りなく周りからは突っ込みが入ってくるだろう。皆、疑問を感じるだろう。けど、そういうやつ、見ていて楽しい。面白い。責め、未来、それから、今ここにないことをいずれ具現化させるための空想、何かそういう感覚は全て似ている。


だから、僕の言いたいのは、時間の管理術で時間を有効活用しようていうんでなく、まずしたいことをする人間は勝手に時間もったいないなと思い始めるものなので、そうであればもう人というのは予めふるいにかけられている為最早、「普通以上にやる気のある人」に焦点を当てて話すかどうかを選ぶべきな気がする。そこに、余計な与太話というか、バックヤードで「そういやさあ」的な何か変な失敗例とかが出てくるからそういうやる気の速度自体がかなり低速になるし、その時にかつての怠慢とか失敗を思い出して余計やる気無くなってしまう。こういうの、ハウトゥー本と言いながら実は「著者の成功論」だったり「やる気なくさせ毒吐き本」ってこと、結構ある。短時間で何か有効なものを見つける視点みたいのはやはり「見つけたい人間」であるからできるのであり、「見つけれる人はこうやって見つけてる」というのは多くの「ふーん、じゃあできないや」という意識を生むような気がする。そこは方法ではなく、発見したときの喜びを書くべきではないか。
僕は、ホリエモンの信仰者ではないけれどやはり、ホリエモンの著書というのはほぼ確実にあれは責めである。責めというのはつまり、もうわかってることを理屈や体験でこねくり回すのではなく、常に新しいし挑戦があると思う。時には「え?」というようなものも載っていたりするけれど、けど一理はある。そこで必要なのはこちらが情報というのは取捨選択をも出来るという視点で、ホリエモンはバッサバッサ本を出す為そこも分かってやっているように思う。
そして、責めの状態になるためには僕はとにかく、自分のやりたいことを探すのでしかない気がしている。そのものを追い求めるかたまりのようになる事なのだ。







けっこうクドいけど、そんなふうに思った!!!