To be continued

単純な日記です。

僕にとってその歌は、人の恣意が感じられない部分がよかった。物語のようなものに入り込み、人からのメッセージに救われることもあるけど、何かに食傷を起こしているときは、人の意志や思いなんかを受け取ることも、ごく遠くから見ることさえもわずらわしくって、だから、そぎ落としたその音の部分だけ、僕は聞いていた。それが、当たり前だったことから変わるのを僕は良くないことだと最初に感じた。そしてやはり、それはあたりまえの風景が、急に人格を伴ったようにして、僕に対してコミュニケーションを求め始めた。そうして救いを得ていた歌に、僕はまた人に対するような苦痛を感じるようになった。僕は、言いたいのは、僕はこうなることが最初のあの時点から分かっていたという事だ。僕はその歌に何も求めていなかった。救いも、それからメッセージも、友情も、愛情も。それは、単なる音だったからこそ、あの時あんなに、毎日聴けていたのだ。だからモノよりも人が出てきてはいけない場合もあるのだと僕は時々言いたくなる。君達は健康だよ。それもあからさまに!で、僕はそれをまずきちんと自分に知らせる為にこうやってここに、書いておきたい。