To be continued

単純な日記です。

クソガキ様についての話

ホラーゲームの黒船

最近YouTubeで、今流行っているガーデンオブバンバンみたいなホラーゲームを観たりすることが時々あったんですが,あれを見てると何かYouTuberの人と一緒に驚いたり、怖がったりしてる気になって勝手に「親しくなってる」って何か感じてる自分がいる…って思っていた。普段はだいたい、YouTubeの民を冷笑みたいな感覚を持ってるんだけど、芸能人=より近い友達みたいな感覚ってこういう経験から来るんだなって何か改めて思った。
それで、あまり関係ないけど周りとか見渡してると本当に人って人というものをよく見てますよね。こいつの懐になら入り込めそうだなっていう人ってやっぱりいて、自分はなんで,優しさというものは存在するんだろうってずーっと見てたりしてたんですが、一方で別に意味なく頑なでうるさそうだなって人もいるし、そしたらその相手に対して取る態度とかも全く違うみたいなある新人さんを見てて「へーっ!」て感心しきりで居ました。懐に入り込めそうって、思ってるんだなというか、その判断って罪を許してくれそうとか怒るのが億劫そうみたいな相手だったりするんですもんね。その人は,僕に対しては融通が効かないおじさんだと思ってるみたいで、ていうか言うことを聞かないやつとかは皆悪い人間だと思ってるみたいでそういう相手に対しては無茶苦茶な嫌がらせをして,そのあとでそういう優しい人のところに行っていつもいい子いい子してもらうのが良いんだと思ってるみたいです。それで毎日毎日聞こえるところで悪口を言ってるような人なんですがそういう原理で今も昔も変わらないでずーっと,生きて行くつもりなんだなあっていうのが本当に不思議で、こういう生き物ってでも子どもには沢山居そうだけど大人の中にも一定数必ずいて、またそれを世話する人っていうのも沢山湧いてくるものなんですよね。庇護したい」って、自分がよく言われてる間はばんばんそうやって搾取されて行くような感情なのかもしれないですが,本当に人間ってまったく自立なんてしてないんだよなーって感じて見ていました。

あまり関係ないが、自分のこと

それでこれ以下は、単なる呟きだと思って読みたい人だけ読んでみてください。で自分の人間関係とかを思い出してみれば自分は、おたくで引き篭もりだと思ってる人も多いみたいだけど、僕の場合口数が多すぎて,考えるよりも先に話してリアクションも回収してかないと気が済まないみたいな人とか、どこに居たとて所属の域を出て感情的な人がとにかく苦手で,それ以外の人だったらわりとどんな相手でも受け入れられるタイプなんだけどなって自分では思ってました。何か,その人の強めの正義に合わせなきゃならない時間とか、そんなに色んな人物像とかに対してしゃかりきになって生きてる人といるのって疲れないですか?だから、一番苦手なのは既に自分の中でキャラ作りが終わってるみたいな相手で,それが外でも達成させたいがゆえになんできみは、カマちゃんに話しかけるみたいにしてくれないの?っていうケースで、僕がカマちゃんっていうキャラが飲み込めない⇔飲み込んでくれないとカマちゃんが気持ち良くなれないっていうやり取りが死ぬまで続くときが地獄みたいにして存在していて、でも、一応だけど世間にいるのはカマちゃんみたいな人ばかりじゃなくて、山ちゃんみたいに舞台の上ではキャラクターでないといけないけどそこから降りたら普通の山口さんでしかないみたいな人に対しては,一応仲良くなれたような気がします。で、どこに属してたとしてもアッてなって向き合った時にこちらに言葉を合わせて話してくれる、ていうその1ターンだけでも全く違いますよね。というかそもそも、相手に興味すら抱いてなくて,自分のことに百倍興味を持って生きてるみたいなティーンの人も,三十を超えた時点で多くいたりするのも事実なのかもしれないけどそれはもちろん出会い頭の挨拶とか、毎日毎日掃除するだけの日常でカマちゃんだったら「ツマンナ〜イ」ってなるような時間として出てくると思うし,そういうとき自分勝手に機嫌悪いせいで挨拶してくれない(特に下と見做してる相手)人ってやっぱり要所要所で何かが噴き出してくるのが早いですよね。本当にこういう挨拶を欲しがる相手に挨拶をわざわざやらないみたいな人,社会のなかでめちゃくちゃいっぱい居ました。だから普段はわりとめちゃくちゃで好きな事やっていても、いざ人と会うとなれば誰彼にたいしてもその1ターンを保てる人っていうのは結構どこにいても人気があったりするような気がしてますし自分の仲良い人は例え相手がトイレ掃除のおばさんだとしても皆それが出来る人だよなって思ってました。







バーーカ

寂しいと僕が思った事

今日は、四時半過ぎに起きて仕事へ行って、それから休んだりする時間もあったりはするけど夜8時くらいまで働いて帰って来て,家のことをやったりご飯食べながら文章を編集し直したりしていた。それで、一日にだいたい三時間くらいは書く時間を取れるっぽい。けど、その中でずっとがっつり新しいのを書いてすいすい進んで〜て言う時間ばかりあるわけでなく、最近はだいたいちょっと前にざーっと書いたのを手直ししたり,文の繋ぎ目を直したりしてたらあっという間にその3時間が終わってしまってたりする。それで、あとは明日の準備とかをしこたまやってたりするうちにどんどん「鬱」みたいな気持ちに覆われて来るのだった…本当はもっと文章を書きたい。けど、平日三時間…て多いのかもしれないけど集中して書ける時間はそれくらいしかない。で、今の仕事もまた殆ど事務作業みたいなものなので前も書いたけどとにかくひとつの事をやって→完了ってなるような仕事が殆どなく
一つのことのために準備,準備,そればっかりしてそれがいつ終わってるのかもよくわからないような内容。だから一日中なにやってるかわからないけど時間だけはめちゃくちゃ無くなっていって、それも「やるだけやった感」だけが手に物凄いずっしりと残っていて,夜11時くらいから何とも言えない暗い気持ちになって来る。考えれば、四時半に起きてるんだからもう寝た方がいいんだ。寝ろ,っていうサインなんだと思って寝たりするんだけど,でも今の歳になって、こういうのが1日のサイクルなんだなって改めて思った。昔は,二時三時とか当たり前に起きてたりしたのに、今はもう次の日の仕事が出来なくなるって分かってるのでそんなことも出来ない。その、「限界」みたいな気持ちを感じつつ、本当に僕は、寂しいって思っていました。
1日書いてる時間が取れるのは良い事なんだけど、その時にやっと「ちゃんと書けてる」って思えてる時間が存在していれば良いけど、何か右往左往してまた通常の仕事やってる時みたいに時間だけが過ぎていく事もある。

理論のこと

以後、だべりなんですが,最近読んだ漫画で少し考え方が変わったんだなと感じたことに、「夢に楽土を求めたり」ていう言葉に,自分はそれほど共感出来ないでいるんだなと思った事があった。その内容を詳しく書くのは省くんだけど、でもここ数年は全然真面目に物を書いたりはしていなかったけど書くにあたって,それから読んだりしてるうち,「もしかしたらそうじゃないんじゃないか」っていう気持ちが自分をこれまで、どうしようかな〜ていういつもの状態から「だったらうだうだ言ってないで自分で必要なことを書こう」ってさせていたのもあったんだなと思ったのと、そうしているからと言って,それが皆にとっても必要だと感じてるわけではないし、自分もその中にこれが自分の思想だとしてごく必要だと言いまくりたいわけではなかったんだなと思う。それは、もしかするとエンタメと私小説の違いだったのかもしれないけど,でも自分は色んな人と会ってその中で影響を受けたりして必要なやり方というのを学んできた後で,自分はやっぱり、ない物を書いてるんであって、それは理想というよりも,失われたものを自分だけが見えてると思って流布しているんであって、それは理想郷とか,夢とかとはまた違うものだったんだなと思った。その辺のことで何が自分にとって寂しいというか,違和感があったのかと考えながら、でもそれを言ってしまったらそれが全てみたいな感じでもあるのかもしれないけどいまも自分は自分なりの考えで書いてるんだなって思っているのと、書くの忘れてましたが自分は、生活とか目の前にある人とはやっぱり、切り離して存在出来ないっていう考えがあるので、現実と、そういう創作の部分をごちゃごちゃにしたくないっていう強固な壁みたいのが常にあるみたいなんですよね。だからこそ自分はエロス〜エロス交換日記みたいのも初めから否定する立場にいて,その倒錯すれすれのところに存在したくない自分が、強固な理念で立ちながら,自分の何かを掬い取る事こそが全てだったんだなって改めて今思いました。
話は変わりますが,それで、どこかに書いたか忘れたけど自分はそういう思想,理念、体型立てられた教科書みたいな物をずっと探している時期があったんです。それを、見つけたは良いものの,すぐに相手と連絡が取れなくなってしまって,自分がそこで育てて来た理想とか、未来みたいなのがぽっかりと消えてしまいました。それくらいから現実の方もだんだんとおかしくなって来たんだけど,今ある風土の殆どは自分にとってあまり関係ない事なんじゃないかなっていうのがやはり基本の考えにあって、自分にとって大事なのは実際に会って言葉を交わして来た人だし,その人達の半分くらいがもう会えなくなってしまったりして、自分は結局そういう暮らししか出来ないんだなって最近は思ったりしながら、でも、自分の見て来た物を形にしたりもしていました。

昔は〜のこと

で、話は変わるんですが,最近というか常に,特に去年くらいからずっと自分にとって昔のことを話される機会が多くて,あの時は本当に酷かったっていう事を聞かされて,それは今自分達の関係も含めてそれよりもマシだから笑い話として言ってるのかもしれないんだけど,自分も、あまりに同じ事ばかり言われ続けてたので一人で考えました。確かに,昔はひどい事もあったかもしれないけど、でも、昔めちゃくちゃ中良かったのに今全く会ってない酷い相手の方が多い中で,昔は〜とか言いながらでも今、会えてるんだったらそれはゼロと比べてもずっと良い方だよね?っていう事自体(それについて比べ始めたら自分は何処よりもマシっていうこと)皆すっぽり忘れてその酷さについてしつこく話してるんじゃないかというのと、あとはちょっと厳しい言い方になるかもしれないけど「昔はやんちゃやってた。」「めちゃくちゃブスだった」みたいな話って、当事者間で思い出して言うから爆笑するみたいな話になるんであって,それは親であっても全く関係ない人から言われ続けてるといずれ「なんだよ、テメエ?」てなって来ると思ったんですよね。

最近小説とか雑文のあちこち気になっていた言葉の結びみたいなのをちまちまと直したりしていました。でもこれは,一応あっても年間を通して1とか2アクセスくらいしかない記事に対してだったり下書き状態のものに限ってなのでまだ許されてるかなって。それはいいんですが,最近ずっと会社の方から監禁されている状態で,もともと昔から連絡しろとか,メールしろみたいのが数時間おきに来たりうるさいところではあったんですが、軟禁状態みたいのがだいたい4月くらいから始まって気づけば10月ですでにそれが半年くらいになっているみたいでした。細かく書くと
四月〜監禁が始まる
五月〜どでかいアイスクリームを食べに行かされる
六月〜記憶がない
七月〜障害者みたいのが入ってくる
八月〜バイリンガルの同僚とやり合う
みたいな感じで,自分も八月の夏の終わりくらいにはさすがに「もう終わるだろう」と思ってました。でも、それがまだまだ何も変わらない状態で二ヶ月くらい続いていて、最後の方は自分はもう誰とも喋らなくなり、友人や家族とも連絡を遮断。ほとんど死にかけていたというか、はっきり言えば誰が見ても死んでいました。それで、亡霊みたいになった自分は何もかもがどうでも良くなっていました。思い起こせばとにかく起きている間の12時間ずっと、ゲリラ的に僕を誰かが驚かせるか、やることなす事全てに批判をしてくるか、メールで聞いてもいない近況をよこすか、それで最後は僕がやったこと全てを無下にして仕上げが終わる。みたいな流れの中にずっとひとりで置かされていて、自分はそれに対して常にこの人たちも何が楽しくて自分にだけ都合がいい論理をこんなに公の場で言っていられるんだろうとか、嘘ばかり言って恥ずかしくないのかっていうのが常ではあったんですが,その内容うんぬんよりもそれが毎時間,1000倍の量で来てる中に半年間休みなくいると、それは単純な作業に成り果てるんです。だから、来た→処理する、来た→処理する、で、これをえんえんと処理するだけのかたまりになった自分は、それは一体何のためにあるのか?を考えさせられる状態になっていたようで一ヶ月、二ヶ月の期間をへて、自分の中で最終的には「この世で起きる事全てに対して何の意味もない。」という結論になっていました。
で、思い返せば嫌がらせみたいのは半年間というか去年からもうっすらとずっと続いていたんだけど亡霊状態になっていた僕は、会社の中や外でもはっきりとした意識を保っていた一方でもはや生活の部分にまでそれは侵食されまくって来ていて,しまいには周りにいる人間全員がもしかしたら自分に対して嘘を付いているのではないか?という思考になって来ていたようです。自分は周りにいる人に対して、っていうか朝から晩まで何にもならない愚痴を吐いている多くの社員の前で自分が、愚痴を吐きまくっていてもなんの意味があるみたいなマインドになっていたので周りの人には普通に元気でいるみたいに振る舞っていたんですが、そのせいで何か「まだまだいける」と思われてたみたいで社員はおろか友人でさえ誰も心配みたいのはしてなかったらしい。
とりあえず七月に入ってきた障害者を自分が何か「世話」するようになっていたんだけどこの人が、周りのものを当たり前に壊す,人の仕事を横取る,隠すみたいなことの常習犯で,自分もそれに気付いてからは怒ったりするようになってたんだけどそれに対しても何の反省もなくほぼ全員がスルー。毎日どこで肯定感をチャージしてくるのかわからないけど自分はいまになってもこの人が酔っ払っているorわあわあ騒いでいる状態しか見たことがなくてまったく反省のは」の字も知らないような感じの人だった。でも結局そいつと一緒に過ごさなくてはならないみたいで周りも何かそれを見て楽しんでいるみたいで、何かやることといっても結局全部の責任が僕のところにだけ来るのがずーっとその中の流れであった。その後バイリンガルの社員が来て,この人は中国語と日本語を話せるみたいで話によると自分が気づく以前からずっと会社にいた人みたいなんだけど自分が存在感を感じ始めたのが今年のその8月くらいから自分に対してワアワア中国語で話しかけまくって来てるのをみてからの事でした。その人は末期癌で、しかも自分が今やっている仕事がポンしそうなところにいたみたいで、そんな事はつゆほども知らなかった自分は健康を害しているだけのバイリンガルおじさんに対してはじめは同情し、親切な言葉をかけてあげたりもしていたんだけど,何か向こうの方からすると周りの世界に対してそういう同情とか感情を受け入れるよりも、寧ろそれを拒絶する事で自分の世界が完成するという状態になっていたみたいなんですよね。それからは自分もその人に全く話しかけなくなりました。でも仕事みたいのは毎日流れてくるものだから、結局会話自体は障害者に対してと同様にしなくちゃいけないので、自分が話しかける→バイリンガルおじさんが中国語でワアワア騒ぐか、嫌がらせをしてくるみたいなことの延々ループになっていました。それで、それを毎日毎日三ヶ月以上(それを意識している期間といういみ)続けて居たんですが、僕もそれに対して「どうして日本語を話せるのに中国語で返事をするんだ」とキレてしまっていました。その人と会話するときのパターンとして、
①向こうが話しかけてくる→僕が応える→向こうが固まる→数秒後中国語で返してくる
②僕が話しかける→向こうが中国語で返してくる
この2パターンくらいしかなくて、何かいつも,予測不能な日本語の羅列に中国語でどう返すかとか、そうなる前に中国語でいてこましたるっていうマインドに既になっているみたいで,だから話し合いする場面でもこっちは穏やかな話にしたくても向こうだけバドミントンをほら、ほらとしかけて来ては空気を台無しにするみたいなのが基本で、自分も周りの人同様に最終的にはこの人のことが大嫌いになっていました。
そうやって会社の中にいて赤の他人の世話をしたり毎時間自分に対して批判の声を送ることだけが生きがいみたいな人の顔を見まくっては、そういう事を差し置いたとしても自分は人としての知性が全く無いっていう世界観とそこに何の理由もなく一人で居なくちゃいけない事っていうのがこの世に置ける一番酷い永続的に続く日常=罰としてあるんだなと何回も思った。とにかく環境を見渡してみてどこにも知性がないというのがまじできつい。

で、軟禁状態でいた自分は家族や友人とも連絡をもう取れなくなっていて、でもそれでも,はっきりとした意識だけはまだ残っていました。自分ははっきりと,やらなくちゃいけないことがあると感じ続けていて,それでやられた事やあったことを総ざらいで会社の掲示板に連投する事に至ったんです。それでもそれでスッキリして昼前に帰るわけには行かないので、定時まで自分はそこに存在し続けなければいけない…その間,ほとんど精神が死んでいる状態でいた自分は、色んなことを間違いまくって筆算も引き算も出来なくなっていた。しまいには、巨大連絡網みたいのも何か出来上がっていて、自分はそこにポンと入れられては名前もついていないアドレスの羅列だけをみて返信を⚪︎時までに返さなきゃいけないというノルマを新人社員みたいに渡されて、結局誰が誰だかも毎日全くわからないのでそれも当たり前に間違えまくっていました。でも、今でも思うんだけど,それが初見の人に分かると思いますか?僕がSuicaみたいに文字の羅列から人格が瞬時によみとれて、それでそのなかで嘘を吐くみたいのも常態になっているときに、それが周りから「ガンバレ」ってことになり得ると思いますか?でもその時は「しなきゃいけない」というのが世界観だから、当然それでも鬱。鬱が続きまくって,
自分は休憩室でその後休んで居たんだけどそれに対して話しかけてくる人が何人かいた。当然、好き勝手に喋ってるだけだからほとんどスルーして僕は自分の言いたいボケをするか自分の言いたいことを向こう側気づかないうちに吐きまくってストレス発散するみたいな関係になって居たんだけどその日は僕のことをじっとみて来て「頼りにしてるよ」と言って来た。自分は,何でそんなふうに感じたかはわからないけどそれでこの人は一体,何を言っているんだろうと思った。僕が周りから世話を押し付けられまくって毎日,毎日目立つ嫌がらせを受けていることは全社員が知っているじゃないか。それで、そのことに対して僕が怒りに任せて誰かに対して吐きまくったり訴えたりしたことはないし「何も起きてない」みたいなそぶりはしていたけど半年間,ずっと朝から晩まで,耐え難い嫌がらせを受けている間の僕をこの人たちはずっと見殺しにしているだけなのにそ知らぬふりをして何を勝手なことを言ってるんだと思って,自分はアドレス帳にあるメンバーのメールアドレスを全部その日に消してやる事にした。
しまいに自分は自分がやった仕事も結局相手からの批判という喜びに変換されるだけなんだったらこんなことやらなくていいと思っていた。だいたい何かをして僕が驚いたり、僕が何かをしたら前後に勝手な意味を付けてアドレスの向こうから見てるみたいな相手ばかりだからノーパソの中に入っている途中までやったやつを全消ししてやったのである。僕はそれでその日は帰ることにした。やってやった。亡霊はこんなふうにして、自分以外の事なんてどうでも良いと思って暮らしてるんだって。で、まあ、別に良いかと思っていたんだけど自分はそれから数時間後,大袈裟では無いが立ち上がれない程の鬱に襲われていたのである。あれこれ邪魔だけされ続けて来て,毎日毎日何の意味もなくただ向こうがやりたいことをやってるだけで、でも実際には僕の1ターン1ターンが全て無駄にさせられてるだけで、やっと次の1ターンで自分が自分に対してまだ動けるってことを示すことが出来なかったら自分は死ぬんだなと思った。
それで自分は数時間布団の中で寝ていて、そのときもとめどなく「鬱」の感情の波が自分を支配し続けてたのである。もうその掲示板に書き込んで行く事以外のやつは全てやめようという気になっていた。というか、何も出来ない。用事も済ませる気がまったく起きないしご飯を作ったり誰かと連絡を取ったりはもちろん、本も読む気がないしテレビも見る気が起きない。で、結局一時間ちょっとしか眠れず,でもやっぱり、服着てやるべきことやんなきゃなあっていう気持ちもスケジュールに追い立てられてるあいだまだ少しだけあるみたいで,そのせいでいちおう起き上がって支度をしようと思い始めたのだった。こんなにどうしようもない自分が、何の楽しいこともない世界で,休みなく死ぬ迄…そうしてるまに、不思議なことにどこかから、起きなきゃっていう声が聞こえて来た。「起きなきゃ。」ほら。ちゃんとしなきゃ。
え?いったいどこから?自分は殆どよろよろになって起き上がり、それからやっとのことで歯ブラシをしてぼさぼさの髪の毛を整えて,階段を登り降りしながらも、それでもまだ憂鬱に支配されまくっていた。また今日も、やることだけは膨大にある。けどとりあえず、布団に戻るよりは外に出た方がいい。でも外の天気が良いとか悪いとか,はっきり言ってどうでも良いと思っていた。…でも動かなきゃ。そう思ってるみたいだった。だってそうしないと,今よりももっとやばい明日がくることが分かりきってるから。ほら、元気出さなきゃ。
…元気が出ない。
うん。でも、元気は自力で出すものだよ。それは、別の本に書いてあった言葉だったと思うんだけど自分が思うより以前の知覚みたいのがそうやって自分の意識に語りかけてるみたいだった。そうして僕は誰が何を言ってるのかわからないみたいな感じになっているようで、はっきりと思った。
元気出さなきゃ。ちゃんとしなきゃ。
みたいな。それて自分はまた外に出る事が出来たのだが、何かそういう状態を経たあとで僕は、人間には社会に存在してないような個人のなかにも仏さまみたいな存在があったりして、自分が意識だと思っている以外の部分でそういう情報⇔善悪がたたかいながら人格が統合したり分裂したりして居たのじゃないかと思った。そんなふうにやっとだけどまともなこともひとつずつ出来るようになってきた僕は、友人も家族も、それから過去に良いことがあったという記憶も一切なくなって一度完全に死んでから須藤元気を取り戻したのである。

WBCのこと

こんにちは。自分は,この間からつづいていた「ポンちゃんが、いつのまにかコンクリートの中にいた」事件以来いろんなことを考えたりしていたんだけど,その時点では「でも,普段から別に話したりしてない相手だし」ていうのが感情の大半を占めていました。,これまで、まったくだれなのかわかっていなかったような悪戯の犯人が特定されたっていうよろこびみたいのはあっても、WBCのときとかも皆でビールを飲んでたりしてるのを見ててもずっとピンときてない時点にじつは自分はまだ一人でずっといて、自分はそこで改めて野球というか野球外でのムービーを見させられながら、馬ってこういうことだったんだなと思ってたりはしたけど、結局はメンバーの中に埋もれているだけで当たり前に誰が誰なのか全くわかってはいませんでした。それでも自分は流れ上ではなんて言わなきゃならないのか、というか何かを言うためだけに置かれているみたいなことは感じており、その上まったく自分の存在を無視した上にしこたま築いて来ているみたいのに対して改めてすごいってむしろ言わされるよりも本音を改めて考えてみたらもっと、何かこれは面白く無いんじゃ無いかって気持ちになっていました。むしろ、自分がメンバーだったらもっとちがくやれるのに、っていう怒りみたいなやる気の方にもっと焦点が当たって来ていた(有志のメンバー甲乙丙丁)ので、自分はそのビール飲み会に参加する権利自体無いんじゃないか。で、話は変わりますが雑多な知らない人がたくさんいる中にいて、それも人から見られるような場所にわざわざ集まってくるような人間が、権力がどうしても欲しいと単純に思うような人も多くいるんだろうなって何かそこで、さすがに気が付いたんですよね。
それで、そう言った構造の中でアホみたいに一人で置かれてるあいだも、自分の場合はたんにマイペースを守ることだけが日常みたいな感じで一つの物事をあっちからこっちからの視点から眺め回してから気が向いたら何故かしら喋るみたいなことを、また好き好んでやっていて、一方で、その構造をアホかと思うほどどうにか運用していこうとしている輩がもはや50%以上を占めているような気がしてきたのである。で、そのひとたちが誰からもバレないように毎日、毎日サーフィン状態をかましてきては一部の人たちから「今日のワタシどう思った?」みたいなことを聞かれるはめになっていたんですが、でも、同じことの繰り返しのなかにいて,だんだん「しらねえよ」の声の方が大きくなってきたっていうか、結局のところはいつもの通りワンパンマンでいる限りそれは上がれてないんだろうなと考えていたんです。それはもしかすると、勝ちというよりもハマちゃんから未だツッコミを入れられてないだけのモラトリアムな状態だったのかもしれません。


〜オナビールではなく、本物の勝ちを得たい人へ〜


それで自分は、どうやれば頂点に上がれる人間になれるのかを考えてみました!

①政治家より創作家が合っている

結局は、自分のスキorキライを突き詰めた人がゴリゴリに勝っています。だいたい、イチ勝ったとかニ勝ったとかでいちいち騒いでるこじきと比べても、勝ちの桁数がちがいます。

②自分よりも頭がいいひとの話を聞く

勝ってる人は,耳に痛い話を聞きます。つまり、今の時点で負けてる人は周りに年下かバカをはべらかして権力にこびへつらってちゃぶ台をひっくり返しています。

③他人のために動く

なんで、他人のために動かなきゃならないの❓って瞬時に思ったあなたは、小学一年生の道徳からやり直して来てください。


結局自分がこう考えたのは、何でこの人は一方的に毎回無反省なんだろうといつものように考えていたからです。
自分の思うにその人が常に気にしているのは自分のこころの状態とか相手の気持ちとかでなくて、周りの評判〜それは株の上がり下がりのようなものだとか周りの意見,周りの状況,助言,人心がどれだけ自分にあるかとかばかりで僕か、時間を割いて懇切丁寧に説明してあげてることの半分も聞いてないんじゃない思ってたんですよね。なぜ、聞いてないのか。僕が言うことの100%を無視して、いつものやつ」の方が聞こえて来たかのようにしているのはなぜか…これで僕は、そもそも、バカだからだからなんじゃないかと思いました。馬鹿は,そうやって毎日株価とゲームに埋もれているせいでそれは「それをどう操るのか」「というか、波を乗りこなせるんじゃないか」っていうことで頭がいっぱいになっているのかしらないけどそうなると、今度何が困ったことになってるかというとまず自分のメンタルの状態もわからないしひとの話を理解して分解して飲み込むってことが不可能になって来てるんだろうなっていうことなんです。なのでそれが自分は常にワンパンマンに対していっぱいになっている奇妙」の気持ちみたいなんだと思います。
で、ついでに言えばそういうワンパンマン達から自分がいつも言ってこられてるのは、『自分はこれだけの能力を持っていて,ゲームもちゃんとやれているし、奉仕だってルールにしたがってやってるのに、どうして自分を尊敬してくれないんだ』っていう強めのメッセージみたいなんだけど,自分はそうじゃないだろって思ってるんですよね。それは、普通なら好きだからやってることだったらレスポンス無しでも1000000回くり返してアホみたいに出来るようなことを、一回だけ自分がお菓子の好きなラッピングをしたら10000イイネくらいもらえるところに居るそいつらからしたらリアクションが半分も来てないってことに「お前がおかしい」ていう結論に即なってるのが毎回みたいなんです。だからそれに対しては常に,そうじゃないだろって思ってたんです。だから、そうじゃなくて、イイネとか、魚拓を取るとかよりもっと,パソコンから離れて別のことを考えた方がいいだろっていう話なんです。たとえば、ファッションは「見せたい」が優位になる前に自分内でもっとサゲてから来てほしいのと、それは毎日あくまで自分の為内でいいんじゃないかってことです。それが真面目に黙って生きてる人の前でなんでこいつが出て来るんだろうっていう程度の人物像に対して、感想を全部無視した上でそれでもまだ、カモフラージュするためだけの透過だけ着てはしゃぎ回ってるのでクソ気持ち悪いってなってるんだと思います。
で、それは、もちろん渦中のホモの人も当てはまってるのと、周りをコテコテに良いやつでかためたらそれなりに見えて良いとなにか思ってるのかもしれないけどなんでさっき言ったことをすぐ忘れてくるの?みたいなうすくて寒いやり取りしかしてないのに、それでもなお、はなから知り合いみたいにされてるっていうこと自体もはや歯痒いみたいな苛立ちを自分はずっと感じてたんだって話です。

それはどうでも良いんだけど,色んな人と会ったり,考えたりして、たのしいなって思うこともあったりしたけど,なんか、めんどくさいなーと思って自分はずっとYouTubeとか本とかで、もっとずっとエゴの少ないものをだらだらと読んだりしていました。

じゃあ、さようなら。

全部まとめて夏休み下さい。………行くッ

最近は何もないままつまらない毎日を過ごしていました。それで、今年は夏が暑い日が多くて,毎日毎日35℃を超えることも多くて暑いなというより,自分はどうして夏はこれ程つまらないんだろうと考えていました。昨年,一昨年、それから3年前と遡って考えてみても、夏が暑くてヒイヒイ言っていたような記憶はあっても、夏=つまらないとこれ程毎日感じていたかって改めて考えていたんですよね。それで、自分も歩きながらふと、じゃあ自分はいったい毎日何をして過ごしているのかと考えていたんですが、仕事へ行く⇔家で過ごす、の往復をずっと繰り返してるだけなのはとりあえずいいとして,仕事と言ってもおじさんがホームベースにスライディングして行くのを横目で見ているみたいな部類のやつではなく、こつこつ毎日やっていかなければならないような作業なんですが、これが特につまらないと感じているらしい。仕事、っていうけど色々あって単に事務作業で計算ミスをえんえんとチェックしてるだけのもあるし例えば学生とか数年前までやっていたようなレジ打ちとか、小売業みたいな、現場の戦力になって働いていくみたいな仕事って毎日体力を使うのでかなり疲れるんだけど、やり甲斐はその分あるんですよね。で、あのときやったって感じられていたそのやりがいって一体なんだったんだろうと改めて考えてみたら、レジで精算して手元にゼロ円残ったとか、挨拶が出来たっていう「こうやったら」→「当然ああなる」みたいな結果論の繰り返しでどんどん上に上がってくみたいなゲーム性以前に、良い事を他人に向かってする、そのおかげで自分の気分も良くなるっていうことなのかなと自分は考えていました。あのとき自分は、周りの人からは接客とかは100%出来ないだろうと言われていたけど,案外やってる間はどうやったら喜ばれるかとかこうしたら良くなるのになっていうことは考えていて、それが本来働くという事のやりがいだったんだなと改めて思った。で、それがいまはとにかくやらなければならない事と他人のやってることのかたづけのみ。で、無意味な仕事をそんなふうに毎日毎日、意味不明にやってる間は当然無感覚でやる→やってる→オワタみたいな感じの繰り返しでいるだけだったんですが、たまに別のことをやったり歩いたりしてちゃんとしたリアクションが得られているようなときには考えごとの派生で小説も書けそうだなって思ったりもしてました。が、結局は色々と考えなおして自分が1%もそうだと思っていなくても周りから見たら出てくるエピソードとか、属性が被ってたり、経験がどうのって言われたりしたら面倒臭いなと思えて来たのでそうなるとつまらないなって思えてきてました。自分は勝手に自由にやってればいいのにと思うんだけど本当に重箱の隅を突いてくるみたいなのとか色んな人がいるんですよね。そういうのはこっちが無意識でいるときでも自分のフィールドが傷つけられてるってなにか感じてるのかもしれないですね。でもどっちにせよそこまでして書きたいと思えなかったのでやめたのであった。

で、こんな暑い夏のなかにいて自分は当然食欲もなく、朝と昼をおにぎり一個だけ食べて過ごすみたいなこともけっこうありました。それか麺類。麺類って,100%炭水化物なんですよね。自分はそれ程体力がある方じゃないので、こういう100%のものを食べ終わった後で急激にダウンダウンダウンみたいになって寝て過ごすことが結構あって、今回もあんかけ焼きそばで急激に気分が悪くなってしまったんでそれからは二度とチョイスしないようにしています。で、これを、首の下まで浸かって過ごす熱湯温泉みたいになってめんばっかり食べている間もそうだけど、食べ終わったあとの血糖値の上がり方とか死ぬ程眠くなることも含めて,全くそもそも食べていることに「喜び」が伴わなくなって来ているんですよね。食べる=ナニ❓みたいになってるとき、自分は木とか、鈴蘭とかでなくて人間で、皆肉も食べてるっていうのに本当にどうやったらもっと楽しく生きれるのかなって夏に向かって考えることも多くなっていました。で,その最中に食べたきゅうりの漬け物が自分はおいしいなってひさしぶりに感じていました。その時は、きゅうりとご飯じゃなく、ごはんと餃子を食べるつもりだったんだけど、たまたま漬けてあったきゅうりが出て来てたので食べてみたらほんまにおいしかったんです。餃子は確かに肉だが、きゅうりを食べてるときは夏場のオアシスみたいに爽やかな気持ちになれたので、それは何かって考えたら、「=水分なんですよね。結局。自分はふと、それを噛み締めながら,これを刻んでご飯に入れたらもっと美味しいんじゃないかなって思いました。だからきゅうりの水分と冷たさがなくならないように,食べる直前にきざんだきゅうりをごはんにさっと混ぜる調理の方が良いんじゃないかって思いました。そう考えてるうちに自分の中で「その後どうするの?」みたいな問いかけも出て来たんですよね。完成系はどうなるの?みたいな。で、何もかも漠然と考えていた僕は、もしかしたらそれは、郷土料理に既にあるやつなんじゃないかってふと思ったんです。

感情ブスへ。

懇願して来る顔、上目遣いで見て来るとき、いきなりギャグ言うとき,皆は自然でかわいいのにお前だけ不自然で全くかわいくなくてタイミングもズレてるし寒くてめっちゃ煩いからもうこいつの全存在がイコールでストレスなんだなと思ったのでだから避けてるのにわざわざこっちまできて話しかけに来てそういうときの態度もちょっと距離感を感じつつじゃなくて「もとから仲良い」みたいにしてきてるし、そんでまた何話すかと思えば自分が見てる幽霊にとってだけの会話メソッドみたいな鬱陶しいゲームを休憩中なのに構わずふっかけてきたから何もかもがチョーーーッ面倒くさくてそいつの目の前で全盲のふりをして歩いてやった。














死ねばいいのに。