To be continued

単純な日記です。

不意に…小説②

何もかもが終わった、、、と思った。いろんな足りていないものが揃って、やっと何もかもが分かった。やっと終わった。本当に終わったと思う。親切な介助人から一体なんでこんなことになったのか分かる?と問いかけられて、わたしも考えてみる。「あまりにも簡単すぎるから」と応え、そう、そうなの。と言われる。それはあまりにも簡単すぎた。色々なことがお膳立てされ過ぎた。問い詰めれば皆違う事をいうが、実際、YESかNOかを迷うひまもなくボタンは押され続けたのだ。わたしは女たちを思う。それから、もちろん親しい人たち。わたしはその人のことを毎日思い出して見て、忘れていないと安堵する。それから、あそこに居たリーダー格の男。黒毛の方ではなく、眼鏡をかけた、リーダーをきどっている男の方のやることを、自身に重ね合わせて見てわたしは思う、わたしだったらあんな事ができただろうか。わたしだったら、自分の赴くままに気にいると気に入らないを分けて、それを言えば、必ず皆がついて来ると疑いもしない、まるで幼児みたいに、自分が疑わないのだから皆も疑わないことを、その遊びを続けようと思い続けられたのだろうか。

わたしはその遊戯を実際に何度も見た。もし、このことに、同じように傷ついている人がいるならとふと、昨日は考えた。わたしは差別に慄いているのではなく、染み付いた性質のことを思うのである。その人たちが実際に愛されていることを思うのである。わたしも一度、やって見たいと思った。実際にはそれができると思い、わたしは誰かを指差して、その想像の中では糾弾して見る。けどわたしの憎しみは終わらないため、それは遊戯にはなりっこない。

わたしだったら殺してしまう。単なる遊戯なんかではなく正義や復讐、考え尽くしたあとの正常な未来をねがう、それが世界への真摯だとして何の疑いもないまま殺してしまうだろう。あんな人たちは生きているべきじゃない。とにかくわたしの対峙していた世界はそうで、でも自分のこの性質はいったい誰が救ってくれるんだろう???それこそ、毎日それを考え続けたのだった。わたしは結局わたしを傍観することに長けた。そうして何もかもがどうでも良くなった。

とにかく仕事はもう終わったと思った。そのことを引き連れて来てくれた従兄弟への感謝も少しずつ湧いてきた。わたしがその期間の長さやわたしがあらかじめ従兄弟という人間を分かっていたこと、なによりも知っている人だったこと、そのことを電車の中でずっと考え続けていたかった。わたしはこういう暮らしをしていたから、時々、とても腹が立ったりとても悲しくなったりしてしまうが、従兄弟といる時は自分にない事を沢山引き連れて来られてもあまり戸惑わないのだと思った。やっぱり自分たちは兄弟みたいだと思う。

自分達は生き残った、、、、そう思った。座ったまま、なんとなく、自分の手の中のものを握りしめると実感が湧いてきた。自分たちは、沢山のしかばねの上で、それでも生きている。

わたしは自分の命をステージにあげられるのを見てどうにかしなければならないと毎日考えた。わたしは、彼の中に残っていたわたしのことば、わたしの中に既に当たり前になってしまっている彼の存在、言葉を思い出してみて、ああやっぱり、自分達は体が弱いからじゃないだろうかと、そう思う。もしそうでなかったら、わたしたちが何でも食べられるのだったら、それでもまだ笑って、なおかつ…男たちのように大きくなれるのだったら世界はこうはならなかったと思う。

 

いっぽうで、忘れてしまう人のこともたまに思う。わたしは本当に客観的に彼のことを可哀想だと思う。わたしのこころにはそれに対して与えられる分の親切心もあるが、けどわたしの正義はそれを決して許さないだろう。物語はこれで終わりで、わたしは膝の上に載せた本を閉じた。安堵した。心の底から、わたしは選択を、生きていたことを喜んでみたかった。

それからその物語がかすかに日常にも繋がっているのかも知れないと思った。

わたしたちは何を話したっけ?

彼は彼みたいにならない事を苦しく思うのかも知れないが、それはわたしが人生の中で手に入れたことのある苦しみだろうか?と思う。不平等は、いつかつり合いを求めるんだろうか???

そう考えていたけど、自分が思うよりも、わたしは日常に戻るべきだと言われる。わたしもそう思う。そこにたしかに、ずっと前からもっともっと太い営みがあるはずで、その中にはもう既にたくさんの光が育ち始めていた。わたしは止められていたが、ずっとその蓋を開けてみたかった。話せばきっと皆、よろこぶよと背中を押されて、実際そうで、幼児みたいに驚いた。

不自由さから見れば、それから、倦怠の募る仕事、上司の顔、女や男たちの前にいる時から見れば、それはもっとたくさんの声にみえた。…わたしが最初に世界に対峙したとき、たしかにまだそんな感触があった。皆その中で勝手なイメージを育てて、皆が目の前に誰もいないままで、いまだにそのイメージを追いかけている。だれかが勝手にだれかに名前を付ける遊びは迷子が続出したのだった。わたしもきっとその中のひとりだったのだろう。