To be continued

単純な日記です。

最近けっこう鬱の傾向が激しくて、外へ出たくないのは普通にあるけど何かテレビとかYouTubeに対しても見るのが嫌になって来てしまった。今まで聴いていたアーティストのPVとかも何か対人間みたいな感覚がしてとにかくその、人の顔を見るのが嫌だったりする。もうこれは生理的な反応で「ウワッ。いる!」と思う圧がだめ。「ウワッ笑ってる!」「ウワッウワッウワッぜんぶコワーッ」こうなる。これが引きこもりの典型的反応。これは創作のために家に篭ってたりするとより酷くなる。小説家の人ってどうやって生きているんだろう。今日は本を読もうとしたけど一冊目だめ、二冊目だめ、三冊目、見ていて耐えられなくなって閉じた。絵を見たり、テレビを見たりなどして結局YouTubeの漫才を見ることに。これは僕でも見られた。漫才おもしろい。
「本読めない」こういうことを言うととにかく、いちいち怒られて来たけれど、自分の思うにその何が嫌なのか考えるに、やはりこれも対人であるせいなのかもしれない。なぜ、嫌なんだろうか。僕はこれは感情とも関係しているように思う。だから、僕はそこに感情があった方がよいのだと思った。僕が嫌なのは、よく大人がするようにこなれた感じで自分の好きなものが取り分けられていくさまだ。僕はそれを、酷いことをされているように感じている。そこに、人なりの苦しみ、楽しみ、迷い、そんなものさえもないなんて…
けど漫才はよいと思った。あれはまさにまんま「人間」ですもんね…漫才は元気になるし、あとは意外と文章書くときのためになったりもする。


ちょっと、病んでいるままだとあれなのですが、SNSを僕はやっていないのだけど、これはものを書く人から注意された時からそうしている。とにかくその、数秒の迷いも経ずに発信し解消されるような時間はよくないし、ゆくゆくは全てやめて創作に専念すべきだと僕は言われた。その人は毎年、いや何ヶ月ごとに新しい思想を構築するような人で、プロになるというのはそれほどの覚悟がいるのだと思った。正直に言えばヤフコメとか覗いちゃってますけど、でもSNS、たぶんこれは本当に、ゆくゆくは辞める方向でいないとだめだと思う。僕の場合はいろいろ辞めて吸収、発信する先を選ぶようになってから良くなってきたような感じ。まあ病んでるんですけどね。