To be continued

単純な日記です。

仕事とは…

何かこう毎日、毎日ただ起きて仕事行き、帰って片して寝るみたいな生活を続けていると、自由が充分にある時とは違った思考回路になってきて、「自分は一体何のために生きているのだろう」みたいな哲学的な問いが浮かんで来るようになる。毎日…することと言えばとにかく仕事。次の日も仕事。自分は特に仕事が好きなのではないけれど、何か気づいたらずーっと仕事をしている。それも特に改革的な仕事をしているのではなく、メカが入ってくれば直ぐに取って代わられるようなほぼ片付ける→出すの繰り返しみたいなやつ、でもやらなければ5分くらいでどうしようもない状態になるみたいなやつ、効率化しようと思えば出来るのだろうけど、とりあえず毎日やらなければならないからしている、自分はマシーンになってしまったような気さえするそういう時、自分は何か仕事の意味について考えさせられるようになる。多分死ぬまでは続けられないだろうな、とか、この好きじゃない状態をずっと続けることで体内にどれくらいストレスが蓄積されるんだろう…とか仕事の、手を動かしながら考えている。五時間とかなら爽快感とかがあるかもしれない。でも十二時間くらい手助け無しで働いていると鬱になる。その手前くらいでちょっと、一応休みはあるけど結局仕事ばかりで、だから休みの日も仕事のことを考えている状態が多いみたいなとき、「何か人生って仕事のために生きてるみたいだな」と思えてくるんである。そこに僕の人格などない。
それで、この辺りを僕は今年のはじめ頃から考えていて、自分の場合
①小説をいくつか書き上げる
②文芸というものを理解する
③ポエムなどを書く
ということが浮かんできた。
僕はこういう事のためにこの先も生きていこうと思った。皆さん、よろしくお願いします。
で、そう思ってるようなは良いけど、なかなかやる気というのもアイディアというのも浮かんで来ない。僕は思うに、こういうことは沢山の感情体験をすることが重要なのではないかと思った。そういった実体験の上に、それが築かれるのだ。多分。でも僕の場合、環境が環境だから、なかなかそれを「ひねり出す」「絞り出す」のが難しかったりする。でも村田沙耶香さんみたいな人もいるんだし、僕も頑張りたい。
まあそれで終わりです。



ところで、今日も仕事仕事仕事で、それもほぼ軽作業的なやつをやっていた。新しい本が入ってくると、それを本棚の方へ移動する作業とかもあるけど僕はこれが好きである。やっぱり新しい本はいい。自分は「紙」自体が好きなんだと思った。買い物する時とかも、ビニールよりも紙袋に入れてもらった時の方が興奮する。で、その新しい本が入ってきたときも、「おっ。きたきた」っていう感じになりますね。で、この仕事を始めて最初に思ったのが日本は本当に漫画大国だなということである。僕のいる店は小説とかも一応置いてあるけど、人気のある作家だけで、漫画が中心だ。けどそれだけでも膨大にあるし、常に人が入ってきてそれを読み、新しい漫画を探しているのを見ると本当にみんな、漫画大好きなんだなあと思う。僕というと少年誌青年誌寄りの知識しかないため、ライトノベルとかオタク向けの転スラみたいなやつが膨大な領域としてそこにあること自体知らなかったので結構びっくりした。もはやこれは「おたく」だけでは括れない、立派な産業なのだと思った。そう考えるとオタクの人たちというのは好きになったものにはお金を惜しまずに投下してくれそうである。結構いい仕事なのかもしれない。

とはいってもこういうものは幾ら読んだとしてもネタにはならない。興味があったので僕も真似してネームみたいのを作ってはみたけど、しかしそれはどこに出す機会もなさそうなシロモノでしかなかった。となるとネタは実体験、小説、映画とかになりそうである。ネタ…とか決めつけるのもあれだけどまあ事実、正直リアルでは何もないと言っていい。不快ならばやまほどある。けど不快のみでは実際何も書けないのである。僕の場合は、不条理を書き尽くそうとすると手先がウンコ塗れになってくる幻影が見えてしまい、脳味噌をシャワーで流したいくらいの倦怠感が募ってくるのである。僕はだから、執筆の合間合間にスピッツを聴くことをも欠かさない。けどそうなると、スピッツというのは曲調がほぼ全て許しでしかないから、僕は自分を許したくはないみたいな気分の方に触れてきて、数分後暴力的にそれを切るみたいなことをとにかく、自分以内の規模で死ぬまで繰り返している感じがある。
今でも不思議なのが、僕の体験みたいなものを聞いて「そんなに色々あったのなら、もっと凄いことができそうなのに」と言われたことがあったのだけど、僕はこれが一体どういうことなのか分からなかったのである。今考えてもそいつが人というものを知らなさすぎると思うのだけど、何か他人からするとその活用するがごく簡単なことだと見なされてしまった系の不愉快だった。こういうのは、その人は聞き伝えだからもう、あらかじめ解と一緒に数式の方も知ったし自分で解いたみたいなまぼろしを見ている気分になっているのかもしれないが本当なめんなと思うし勘弁してくれである。
で、だから映画見たほうが良いんだろうなと思いつつも結局全然見ないで絵ばっかり見て過ごしている。絵は面白いですね。ゴッホでなくともあちこちに神というのは宿っていそうだ。でも人物描写みたいのがめんどくて読み飛ばしたりしている。

この間キャッチミーイフユーキャンを見て感じたのが「映画ってすごい場面転換多いな」ということだった。まず、字幕で見た時いつも、台詞をすごいはしょるなと思うけど、場面転換の方も気にしてみれば映画というものはものすごい速さで場面が切り替わっている。キャッチミーイフユーキャンに至ってみれば、理由付けとかエピソードに結構無理があって作り物感があるのですが、それをも、けど映像というのはその波動で消し去ってしまう部分があるのだなと思った。役者の演技もただ「うん」というシンプルなものだけでも含みを持たせたりできるし、小道具で画面は埋め尽くされている。やっぱり文章とはだいぶ違う。そう考えると小説というのは常にもっと緻密なのだとも言える。
だから、映画、見ろよって感じなんだけどそれが、どうしても億劫で見れない。だれか同棲してる相手とかがいて、僕が帰宅するたびに勝手に映画流してくれたりするような状況作ってくれないかなと思う。そこまでやってくれればさすがに見るから。いったん見始めると苦ではないんですよね。ええ。