To be continued

単純な日記です。

最近小説とか雑文のあちこち気になっていた言葉の結びみたいなのをちまちまと直したりしていました。でもこれは,一応あっても年間を通して1とか2アクセスくらいしかない記事に対してだったり下書き状態のものに限ってなのでまだ許されてるかなって。それはいいんですが,最近ずっと会社の方から監禁されている状態で,もともと昔から連絡しろとか,メールしろみたいのが数時間おきに来たりうるさいところではあったんですが、軟禁状態みたいのがだいたい4月くらいから始まって気づけば10月ですでにそれが半年くらいになっているみたいでした。細かく書くと
四月〜監禁が始まる
五月〜どでかいアイスクリームを食べに行かされる
六月〜記憶がない
七月〜障害者みたいのが入ってくる
八月〜バイリンガルの同僚とやり合う
みたいな感じで,自分も八月の夏の終わりくらいにはさすがに「もう終わるだろう」と思ってました。でも、それがまだまだ何も変わらない状態で二ヶ月くらい続いていて、最後の方は自分はもう誰とも喋らなくなり、友人や家族とも連絡を遮断。ほとんど死にかけていたというか、はっきり言えば誰が見ても死んでいました。それで、亡霊みたいになった自分は何もかもがどうでも良くなっていました。思い起こせばとにかく起きている間の12時間ずっと、ゲリラ的に僕を誰かが驚かせるか、やることなす事全てに批判をしてくるか、メールで聞いてもいない近況をよこすか、それで最後は僕がやったこと全てを無下にして仕上げが終わる。みたいな流れの中にずっとひとりで置かされていて、自分はそれに対して常にこの人たちも何が楽しくて自分にだけ都合がいい論理をこんなに公の場で言っていられるんだろうとか、嘘ばかり言って恥ずかしくないのかっていうのが常ではあったんですが,その内容うんぬんよりもそれが毎時間,1000倍の量で来てる中に半年間休みなくいると、それは単純な作業に成り果てるんです。だから、来た→処理する、来た→処理する、で、これをえんえんと処理するだけのかたまりになった自分は、それは一体何のためにあるのか?を考えさせられる状態になっていたようで一ヶ月、二ヶ月の期間をへて、自分の中で最終的には「この世で起きる事全てに対して何の意味もない。」という結論になっていました。
で、思い返せば嫌がらせみたいのは半年間というか去年からもうっすらとずっと続いていたんだけど亡霊状態になっていた僕は、会社の中や外でもはっきりとした意識を保っていた一方でもはや生活の部分にまでそれは侵食されまくって来ていて,しまいには周りにいる人間全員がもしかしたら自分に対して嘘を付いているのではないか?という思考になって来ていたようです。自分は周りにいる人に対して、っていうか朝から晩まで何にもならない愚痴を吐いている多くの社員の前で自分が、愚痴を吐きまくっていてもなんの意味があるみたいなマインドになっていたので周りの人には普通に元気でいるみたいに振る舞っていたんですが、そのせいで何か「まだまだいける」と思われてたみたいで社員はおろか友人でさえ誰も心配みたいのはしてなかったらしい。
とりあえず七月に入ってきた障害者を自分が何か「世話」するようになっていたんだけどこの人が、周りのものを当たり前に壊す,人の仕事を横取る,隠すみたいなことの常習犯で,自分もそれに気付いてからは怒ったりするようになってたんだけどそれに対しても何の反省もなくほぼ全員がスルー。毎日どこで肯定感をチャージしてくるのかわからないけど自分はいまになってもこの人が酔っ払っているorわあわあ騒いでいる状態しか見たことがなくてまったく反省のは」の字も知らないような感じの人だった。でも結局そいつと一緒に過ごさなくてはならないみたいで周りも何かそれを見て楽しんでいるみたいで、何かやることといっても結局全部の責任が僕のところにだけ来るのがずーっとその中の流れであった。その後バイリンガルの社員が来て,この人は中国語と日本語を話せるみたいで話によると自分が気づく以前からずっと会社にいた人みたいなんだけど自分が存在感を感じ始めたのが今年のその8月くらいから自分に対してワアワア中国語で話しかけまくって来てるのをみてからの事でした。その人は末期癌で、しかも自分が今やっている仕事がポンしそうなところにいたみたいで、そんな事はつゆほども知らなかった自分は健康を害しているだけのバイリンガルおじさんに対してはじめは同情し、親切な言葉をかけてあげたりもしていたんだけど,何か向こうの方からすると周りの世界に対してそういう同情とか感情を受け入れるよりも、寧ろそれを拒絶する事で自分の世界が完成するという状態になっていたみたいなんですよね。それからは自分もその人に全く話しかけなくなりました。でも仕事みたいのは毎日流れてくるものだから、結局会話自体は障害者に対してと同様にしなくちゃいけないので、自分が話しかける→バイリンガルおじさんが中国語でワアワア騒ぐか、嫌がらせをしてくるみたいなことの延々ループになっていました。それで、それを毎日毎日三ヶ月以上(それを意識している期間といういみ)続けて居たんですが、僕もそれに対して「どうして日本語を話せるのに中国語で返事をするんだ」とキレてしまっていました。その人と会話するときのパターンとして、
①向こうが話しかけてくる→僕が応える→向こうが固まる→数秒後中国語で返してくる
②僕が話しかける→向こうが中国語で返してくる
この2パターンくらいしかなくて、何かいつも,予測不能な日本語の羅列に中国語でどう返すかとか、そうなる前に中国語でいてこましたるっていうマインドに既になっているみたいで,だから話し合いする場面でもこっちは穏やかな話にしたくても向こうだけバドミントンをほら、ほらとしかけて来ては空気を台無しにするみたいなのが基本で、自分も周りの人同様に最終的にはこの人のことが大嫌いになっていました。
そうやって会社の中にいて赤の他人の世話をしたり毎時間自分に対して批判の声を送ることだけが生きがいみたいな人の顔を見まくっては、そういう事を差し置いたとしても自分は人としての知性が全く無いっていう世界観とそこに何の理由もなく一人で居なくちゃいけない事っていうのがこの世に置ける一番酷い永続的に続く日常=罰としてあるんだなと何回も思った。とにかく環境を見渡してみてどこにも知性がないというのがまじできつい。

で、軟禁状態でいた自分は家族や友人とも連絡をもう取れなくなっていて、でもそれでも,はっきりとした意識だけはまだ残っていました。自分ははっきりと,やらなくちゃいけないことがあると感じ続けていて,それでやられた事やあったことを総ざらいで会社の掲示板に連投する事に至ったんです。それでもそれでスッキリして昼前に帰るわけには行かないので、定時まで自分はそこに存在し続けなければいけない…その間,ほとんど精神が死んでいる状態でいた自分は、色んなことを間違いまくって筆算も引き算も出来なくなっていた。しまいには、巨大連絡網みたいのも何か出来上がっていて、自分はそこにポンと入れられては名前もついていないアドレスの羅列だけをみて返信を⚪︎時までに返さなきゃいけないというノルマを新人社員みたいに渡されて、結局誰が誰だかも毎日全くわからないのでそれも当たり前に間違えまくっていました。でも、今でも思うんだけど,それが初見の人に分かると思いますか?僕がSuicaみたいに文字の羅列から人格が瞬時によみとれて、それでそのなかで嘘を吐くみたいのも常態になっているときに、それが周りから「ガンバレ」ってことになり得ると思いますか?でもその時は「しなきゃいけない」というのが世界観だから、当然それでも鬱。鬱が続きまくって,
自分は休憩室でその後休んで居たんだけどそれに対して話しかけてくる人が何人かいた。当然、好き勝手に喋ってるだけだからほとんどスルーして僕は自分の言いたいボケをするか自分の言いたいことを向こう側気づかないうちに吐きまくってストレス発散するみたいな関係になって居たんだけどその日は僕のことをじっとみて来て「頼りにしてるよ」と言って来た。自分は,何でそんなふうに感じたかはわからないけどそれでこの人は一体,何を言っているんだろうと思った。僕が周りから世話を押し付けられまくって毎日,毎日目立つ嫌がらせを受けていることは全社員が知っているじゃないか。それで、そのことに対して僕が怒りに任せて誰かに対して吐きまくったり訴えたりしたことはないし「何も起きてない」みたいなそぶりはしていたけど半年間,ずっと朝から晩まで,耐え難い嫌がらせを受けている間の僕をこの人たちはずっと見殺しにしているだけなのにそ知らぬふりをして何を勝手なことを言ってるんだと思って,自分はアドレス帳にあるメンバーのメールアドレスを全部その日に消してやる事にした。
しまいに自分は自分がやった仕事も結局相手からの批判という喜びに変換されるだけなんだったらこんなことやらなくていいと思っていた。だいたい何かをして僕が驚いたり、僕が何かをしたら前後に勝手な意味を付けてアドレスの向こうから見てるみたいな相手ばかりだからノーパソの中に入っている途中までやったやつを全消ししてやったのである。僕はそれでその日は帰ることにした。やってやった。亡霊はこんなふうにして、自分以外の事なんてどうでも良いと思って暮らしてるんだって。で、まあ、別に良いかと思っていたんだけど自分はそれから数時間後,大袈裟では無いが立ち上がれない程の鬱に襲われていたのである。あれこれ邪魔だけされ続けて来て,毎日毎日何の意味もなくただ向こうがやりたいことをやってるだけで、でも実際には僕の1ターン1ターンが全て無駄にさせられてるだけで、やっと次の1ターンで自分が自分に対してまだ動けるってことを示すことが出来なかったら自分は死ぬんだなと思った。
それで自分は数時間布団の中で寝ていて、そのときもとめどなく「鬱」の感情の波が自分を支配し続けてたのである。もうその掲示板に書き込んで行く事以外のやつは全てやめようという気になっていた。というか、何も出来ない。用事も済ませる気がまったく起きないしご飯を作ったり誰かと連絡を取ったりはもちろん、本も読む気がないしテレビも見る気が起きない。で、結局一時間ちょっとしか眠れず,でもやっぱり、服着てやるべきことやんなきゃなあっていう気持ちもスケジュールに追い立てられてるあいだまだ少しだけあるみたいで,そのせいでいちおう起き上がって支度をしようと思い始めたのだった。こんなにどうしようもない自分が、何の楽しいこともない世界で,休みなく死ぬ迄…そうしてるまに、不思議なことにどこかから、起きなきゃっていう声が聞こえて来た。「起きなきゃ。」ほら。ちゃんとしなきゃ。
え?いったいどこから?自分は殆どよろよろになって起き上がり、それからやっとのことで歯ブラシをしてぼさぼさの髪の毛を整えて,階段を登り降りしながらも、それでもまだ憂鬱に支配されまくっていた。また今日も、やることだけは膨大にある。けどとりあえず、布団に戻るよりは外に出た方がいい。でも外の天気が良いとか悪いとか,はっきり言ってどうでも良いと思っていた。…でも動かなきゃ。そう思ってるみたいだった。だってそうしないと,今よりももっとやばい明日がくることが分かりきってるから。ほら、元気出さなきゃ。
…元気が出ない。
うん。でも、元気は自力で出すものだよ。それは、別の本に書いてあった言葉だったと思うんだけど自分が思うより以前の知覚みたいのがそうやって自分の意識に語りかけてるみたいだった。そうして僕は誰が何を言ってるのかわからないみたいな感じになっているようで、はっきりと思った。
元気出さなきゃ。ちゃんとしなきゃ。
みたいな。それて自分はまた外に出る事が出来たのだが、何かそういう状態を経たあとで僕は、人間には社会に存在してないような個人のなかにも仏さまみたいな存在があったりして、自分が意識だと思っている以外の部分でそういう情報⇔善悪がたたかいながら人格が統合したり分裂したりして居たのじゃないかと思った。そんなふうにやっとだけどまともなこともひとつずつ出来るようになってきた僕は、友人も家族も、それから過去に良いことがあったという記憶も一切なくなって一度完全に死んでから須藤元気を取り戻したのである。

WBCのこと

こんにちは。自分は,この間からつづいていた「ポンちゃんが、いつのまにかコンクリートの中にいた」事件以来いろんなことを考えたりしていたんだけど,その時点では「でも,普段から別に話したりしてない相手だし」ていうのが感情の大半を占めていました。,これまで、まったくだれなのかわかっていなかったような悪戯の犯人が特定されたっていうよろこびみたいのはあっても、WBCのときとかも皆でビールを飲んでたりしてるのを見ててもずっとピンときてない時点にじつは自分はまだ一人でずっといて、自分はそこで改めて野球というか野球外でのムービーを見させられながら、馬ってこういうことだったんだなと思ってたりはしたけど、結局はメンバーの中に埋もれているだけで当たり前に誰が誰なのか全くわかってはいませんでした。それでも自分は流れ上ではなんて言わなきゃならないのか、というか何かを言うためだけに置かれているみたいなことは感じており、その上まったく自分の存在を無視した上にしこたま築いて来ているみたいのに対して改めてすごいってむしろ言わされるよりも本音を改めて考えてみたらもっと、何かこれは面白く無いんじゃ無いかって気持ちになっていました。むしろ、自分がメンバーだったらもっとちがくやれるのに、っていう怒りみたいなやる気の方にもっと焦点が当たって来ていた(有志のメンバー甲乙丙丁)ので、自分はそのビール飲み会に参加する権利自体無いんじゃないか。で、話は変わりますが雑多な知らない人がたくさんいる中にいて、それも人から見られるような場所にわざわざ集まってくるような人間が、権力がどうしても欲しいと単純に思うような人も多くいるんだろうなって何かそこで、さすがに気が付いたんですよね。
それで、そう言った構造の中でアホみたいに一人で置かれてるあいだも、自分の場合はたんにマイペースを守ることだけが日常みたいな感じで一つの物事をあっちからこっちからの視点から眺め回してから気が向いたら何故かしら喋るみたいなことを、また好き好んでやっていて、一方で、その構造をアホかと思うほどどうにか運用していこうとしている輩がもはや50%以上を占めているような気がしてきたのである。で、そのひとたちが誰からもバレないように毎日、毎日サーフィン状態をかましてきては一部の人たちから「今日のワタシどう思った?」みたいなことを聞かれるはめになっていたんですが、でも、同じことの繰り返しのなかにいて,だんだん「しらねえよ」の声の方が大きくなってきたっていうか、結局のところはいつもの通りワンパンマンでいる限りそれは上がれてないんだろうなと考えていたんです。それはもしかすると、勝ちというよりもハマちゃんから未だツッコミを入れられてないだけのモラトリアムな状態だったのかもしれません。


〜オナビールではなく、本物の勝ちを得たい人へ〜


それで自分は、どうやれば頂点に上がれる人間になれるのかを考えてみました!

①政治家より創作家が合っている

結局は、自分のスキorキライを突き詰めた人がゴリゴリに勝っています。だいたい、イチ勝ったとかニ勝ったとかでいちいち騒いでるこじきと比べても、勝ちの桁数がちがいます。

②自分よりも頭がいいひとの話を聞く

勝ってる人は,耳に痛い話を聞きます。つまり、今の時点で負けてる人は周りに年下かバカをはべらかして権力にこびへつらってちゃぶ台をひっくり返しています。

③他人のために動く

なんで、他人のために動かなきゃならないの❓って瞬時に思ったあなたは、小学一年生の道徳からやり直して来てください。


結局自分がこう考えたのは、何でこの人は一方的に毎回無反省なんだろうといつものように考えていたからです。
自分の思うにその人が常に気にしているのは自分のこころの状態とか相手の気持ちとかでなくて、周りの評判〜それは株の上がり下がりのようなものだとか周りの意見,周りの状況,助言,人心がどれだけ自分にあるかとかばかりで僕か、時間を割いて懇切丁寧に説明してあげてることの半分も聞いてないんじゃない思ってたんですよね。なぜ、聞いてないのか。僕が言うことの100%を無視して、いつものやつ」の方が聞こえて来たかのようにしているのはなぜか…これで僕は、そもそも、バカだからだからなんじゃないかと思いました。馬鹿は,そうやって毎日株価とゲームに埋もれているせいでそれは「それをどう操るのか」「というか、波を乗りこなせるんじゃないか」っていうことで頭がいっぱいになっているのかしらないけどそうなると、今度何が困ったことになってるかというとまず自分のメンタルの状態もわからないしひとの話を理解して分解して飲み込むってことが不可能になって来てるんだろうなっていうことなんです。なのでそれが自分は常にワンパンマンに対していっぱいになっている奇妙」の気持ちみたいなんだと思います。
で、ついでに言えばそういうワンパンマン達から自分がいつも言ってこられてるのは、『自分はこれだけの能力を持っていて,ゲームもちゃんとやれているし、奉仕だってルールにしたがってやってるのに、どうして自分を尊敬してくれないんだ』っていう強めのメッセージみたいなんだけど,自分はそうじゃないだろって思ってるんですよね。それは、普通なら好きだからやってることだったらレスポンス無しでも1000000回くり返してアホみたいに出来るようなことを、一回だけ自分がお菓子の好きなラッピングをしたら10000イイネくらいもらえるところに居るそいつらからしたらリアクションが半分も来てないってことに「お前がおかしい」ていう結論に即なってるのが毎回みたいなんです。だからそれに対しては常に,そうじゃないだろって思ってたんです。だから、そうじゃなくて、イイネとか、魚拓を取るとかよりもっと,パソコンから離れて別のことを考えた方がいいだろっていう話なんです。たとえば、ファッションは「見せたい」が優位になる前に自分内でもっとサゲてから来てほしいのと、それは毎日あくまで自分の為内でいいんじゃないかってことです。それが真面目に黙って生きてる人の前でなんでこいつが出て来るんだろうっていう程度の人物像に対して、感想を全部無視した上でそれでもまだ、カモフラージュするためだけの透過だけ着てはしゃぎ回ってるのでクソ気持ち悪いってなってるんだと思います。
で、それは、もちろん渦中のホモの人も当てはまってるのと、周りをコテコテに良いやつでかためたらそれなりに見えて良いとなにか思ってるのかもしれないけどなんでさっき言ったことをすぐ忘れてくるの?みたいなうすくて寒いやり取りしかしてないのに、それでもなお、はなから知り合いみたいにされてるっていうこと自体もはや歯痒いみたいな苛立ちを自分はずっと感じてたんだって話です。

それはどうでも良いんだけど,色んな人と会ったり,考えたりして、たのしいなって思うこともあったりしたけど,なんか、めんどくさいなーと思って自分はずっとYouTubeとか本とかで、もっとずっとエゴの少ないものをだらだらと読んだりしていました。

じゃあ、さようなら。

全部まとめて夏休み下さい。………行くッ

最近は何もないままつまらない毎日を過ごしていました。それで、今年は夏が暑い日が多くて,毎日毎日35℃を超えることも多くて暑いなというより,自分はどうして夏はこれ程つまらないんだろうと考えていました。昨年,一昨年、それから3年前と遡って考えてみても、夏が暑くてヒイヒイ言っていたような記憶はあっても、夏=つまらないとこれ程毎日感じていたかって改めて考えていたんですよね。それで、自分も歩きながらふと、じゃあ自分はいったい毎日何をして過ごしているのかと考えていたんですが、仕事へ行く⇔家で過ごす、の往復をずっと繰り返してるだけなのはとりあえずいいとして,仕事と言ってもおじさんがホームベースにスライディングして行くのを横目で見ているみたいな部類のやつではなく、こつこつ毎日やっていかなければならないような作業なんですが、これが特につまらないと感じているらしい。仕事、っていうけど色々あって単に事務作業で計算ミスをえんえんとチェックしてるだけのもあるし例えば学生とか数年前までやっていたようなレジ打ちとか、小売業みたいな、現場の戦力になって働いていくみたいな仕事って毎日体力を使うのでかなり疲れるんだけど、やり甲斐はその分あるんですよね。で、あのときやったって感じられていたそのやりがいって一体なんだったんだろうと改めて考えてみたら、レジで精算して手元にゼロ円残ったとか、挨拶が出来たっていう「こうやったら」→「当然ああなる」みたいな結果論の繰り返しでどんどん上に上がってくみたいなゲーム性以前に、良い事を他人に向かってする、そのおかげで自分の気分も良くなるっていうことなのかなと自分は考えていました。あのとき自分は、周りの人からは接客とかは100%出来ないだろうと言われていたけど,案外やってる間はどうやったら喜ばれるかとかこうしたら良くなるのになっていうことは考えていて、それが本来働くという事のやりがいだったんだなと改めて思った。で、それがいまはとにかくやらなければならない事と他人のやってることのかたづけのみ。で、無意味な仕事をそんなふうに毎日毎日、意味不明にやってる間は当然無感覚でやる→やってる→オワタみたいな感じの繰り返しでいるだけだったんですが、たまに別のことをやったり歩いたりしてちゃんとしたリアクションが得られているようなときには考えごとの派生で小説も書けそうだなって思ったりもしてました。が、結局は色々と考えなおして自分が1%もそうだと思っていなくても周りから見たら出てくるエピソードとか、属性が被ってたり、経験がどうのって言われたりしたら面倒臭いなと思えて来たのでそうなるとつまらないなって思えてきてました。自分は勝手に自由にやってればいいのにと思うんだけど本当に重箱の隅を突いてくるみたいなのとか色んな人がいるんですよね。そういうのはこっちが無意識でいるときでも自分のフィールドが傷つけられてるってなにか感じてるのかもしれないですね。でもどっちにせよそこまでして書きたいと思えなかったのでやめたのであった。

で、こんな暑い夏のなかにいて自分は当然食欲もなく、朝と昼をおにぎり一個だけ食べて過ごすみたいなこともけっこうありました。それか麺類。麺類って,100%炭水化物なんですよね。自分はそれ程体力がある方じゃないので、こういう100%のものを食べ終わった後で急激にダウンダウンダウンみたいになって寝て過ごすことが結構あって、今回もあんかけ焼きそばで急激に気分が悪くなってしまったんでそれからは二度とチョイスしないようにしています。で、これを、首の下まで浸かって過ごす熱湯温泉みたいになってめんばっかり食べている間もそうだけど、食べ終わったあとの血糖値の上がり方とか死ぬ程眠くなることも含めて,全くそもそも食べていることに「喜び」が伴わなくなって来ているんですよね。食べる=ナニ❓みたいになってるとき、自分は木とか、鈴蘭とかでなくて人間で、皆肉も食べてるっていうのに本当にどうやったらもっと楽しく生きれるのかなって夏に向かって考えることも多くなっていました。で,その最中に食べたきゅうりの漬け物が自分はおいしいなってひさしぶりに感じていました。その時は、きゅうりとご飯じゃなく、ごはんと餃子を食べるつもりだったんだけど、たまたま漬けてあったきゅうりが出て来てたので食べてみたらほんまにおいしかったんです。餃子は確かに肉だが、きゅうりを食べてるときは夏場のオアシスみたいに爽やかな気持ちになれたので、それは何かって考えたら、「=水分なんですよね。結局。自分はふと、それを噛み締めながら,これを刻んでご飯に入れたらもっと美味しいんじゃないかなって思いました。だからきゅうりの水分と冷たさがなくならないように,食べる直前にきざんだきゅうりをごはんにさっと混ぜる調理の方が良いんじゃないかって思いました。そう考えてるうちに自分の中で「その後どうするの?」みたいな問いかけも出て来たんですよね。完成系はどうなるの?みたいな。で、何もかも漠然と考えていた僕は、もしかしたらそれは、郷土料理に既にあるやつなんじゃないかってふと思ったんです。

感情ブスへ。

懇願して来る顔、上目遣いで見て来るとき、いきなりギャグ言うとき,皆は自然でかわいいのにお前だけ不自然で全くかわいくなくてタイミングもズレてるし寒くてめっちゃ煩いからもうこいつの全存在がイコールでストレスなんだなと思ったのでだから避けてるのにわざわざこっちまできて話しかけに来てそういうときの態度もちょっと距離感を感じつつじゃなくて「もとから仲良い」みたいにしてきてるし、そんでまた何話すかと思えば自分が見てる幽霊にとってだけの会話メソッドみたいな鬱陶しいゲームを休憩中なのに構わずふっかけてきたから何もかもがチョーーーッ面倒くさくてそいつの目の前で全盲のふりをして歩いてやった。














死ねばいいのに。

小説ー顔ナシ


戦争で夫が取られてしまい、しばらく過ごすうちに見知らぬ男が現れるようになった。夫は遠縁の親戚だと言い,信用するもしないもかんがえないうち小さな世間の中皆が知っていると口を揃える相手を無視するわけにいかず,家の中で男が居座るようになった。男は何をして生計を立てているのかわからなかったが,昼過ぎ迄眠ったあとは起きだし,それから遅い食事を作らせ時々外へと出て行った。あとで床へ落としていった荷札を見てみるに、何かの配送をして日銭を稼いでいるようだった。年末から年明けにかけて,一番下の子供が肺炎を起こして咳が止まらなくなった。朝から晩まで咳を続けて,少しも立たないうちにキツネが吠えるときのような声を出すようになった。そのうちそれが娘にもうつり、二人で交互にひがな咳をしているのが普通になった。頼る人も居らず、近所のつてで聞いたばかりの病院を回ったがおかしな薬を出されたばあとで、一週間、一ヶ月と経ち,けれども一向に症状は良くならない。あまりにおかしいと思いその薬の名前を薬店で調べてもらうのだが、聞いた事がないと店主は首を傾げる。うわさによれば、その病院では、信仰している神様がそのときに選ぶ薬を,効き目も確かめないで渡しているようだという。金はとうに支払ってしまい、二度三度行ってもいっこうに処方を変えないなか、その薬を、咳の止まらない息子には与えないで戸棚に置いておいたが,最近腹の具合が酷くなり外へ出られないという近所の子どもへ、あるきっかけで与えてみると一週間も立たないうちにそれが良くなった。子どもの親からは,代金の5,000円を支払って貰いはじめてわたしは驚いた。息子は薬のせいで肝炎を起こし、登校できない日が続いた。妹はすぐに良くなったが、息子だけがいっこうによくならず,周りの年寄りは会う度にわたしの家や土地、風向きの悪さを話すのだった。そうしてこのことで医者に対して訴えを起こしたとしても、きっと負けるのだそうだ。わたしが外へ出るたびに話しかけて来た隣の家の女はそう告げて、2、3同じような話を言い聞かせると満足したように家へと戻って行った。女の親戚は大病院の誤診できれいな腸を全て引き摺り出されて死んだのだという。男はわたしに、ひがな「夫は死んだ」と告げるのだが、はじめはもちろん信用していなかったが,しかしそれは毎日のことなのだった。朝から晩まで同じ人間といて、外のことを思えば爆撃ばかりがあり、ふつうの毎日などをとうに思い出せなくなっていた。皆が自分だけの心配をし、その中で息子の咳を聞いているうちたしかに自分の夫は死んだのかもしれないとときどき思うようになっていった。人間なんてやわなものだ。食べ物と生活、支えのひとつもなくてはどれもひとつも回らず、小さな子どもが居る限り流行り病や子取りの心配事は尽きないが,それが思想さえもむしばみ,もはや楽観的な考えなどごくわずかに,寝入り端の部屋のぼろい窓から光が差し込む程度にしか思わなくなった。そのうち死んだ人たちのことを思うようになった。皆の死に方や死に際、それはすべてが不幸に塗れているように見えた…。そうするうち、その男は遠縁の親戚をもう一人連れて来るようになった。その男は昼間自分の友人を連れてきてはわたしの家の中で酒を飲み騒ぎ出すのだ。そうして酒の肴のようにして私の家事や育児や交友関係に対して揚げ足をとり始めるのだった。毎日、山ほど仕事がある中で,酒を飲んだ後片付けを一人でさせられ、いくら声をかけても血に飢えた狼同様で人の家の中で静かにすることも知らない。そうするうち、顔を見るだけで次第に食欲も失せるようになってきたのだが、うちにはとりあえずの食べ物と金だけはあったのだ。わたしは毎日、それでも戦争に取られた一番上の子どものことを思い出し,あの子は勉強も国語も何も出来ないまま虚勢を貼ることだけで世間をわたっていたのではないかと思い出し,子どもの勉強の支度を手伝うのを忘れなかった。娘はすぐに自分でやるのだが、息子はそれを放り出して外で遊ぶのが未だ好きなようで、ときどきどこから持って来たのか分からないような飴を握りしめて帰って来るのだった。わたしたちは男が日がな眠ってわたしたちの家具を蹴飛ばしているときも、悪態をついてくる時も,毎日食べない事がどれだけからだを蝕むのか知っていたので,その辺にある口に入れられるものを食べて過ごしていた。昨年一昨年、下の子供の担任だった教師は虐待同様の軍国主義とそれにそぐわない無関心を子どもらに与え続け,結局は審問にあったあげく他の地方へ飛ばされていくことになった。あれほど活力と欲に溢れた男が教師とは名ばかりの,掃除夫に成り果てた男を想像してわたしは空恐ろしくなったが、わたしはその発端になった息子への暴力、それから見せしめのような監禁、それらを取り巻いていた顔を幾度か思い出し、子どもでなく自分たちの繋がりばかり守ろうとした教師や校長のことを思い出し,数年間に渡って娘の担任さえもそれに遭遇したとき持ち前の正義感を発揮せず,全くなんの感想も抱かなかったことも知り,わたしは、娘が憤慨して帰ってくるたびにいつもその教師の肩を持っていたが、それはあらためて価値のある人間ではなかったのだと考えるようになった。

後で聞いた話によると、うちへ来た男の商売はこの国の至る所にあり、手口もほぼ同じで自分が血縁があるかのように振る舞い、子どもの病も治らないよう食事のなかに薬を混ぜ込んで家庭の中に居座り続けるらしい。そうする事で子どもが見たことのない病に侵されたと思い込んだ親は半狂乱になり、幾ら金を出してでも治療法を探そうと躍起になるのだそうだ。もちろんこの薬は国が扱っているものなので,治療法などない。税金や思想で日々地道に奴隷を作り続けている政府だが,このように現実的側面でも悪事を働いては,表に出る時だけは正義ヅラをしているらしい。そういった、国と繋がりのある組織があちこちに点在しており,それは政府が「▲▲きょうかい」という名前で未だ支援しているのだそうだ。いま海外と行なっている戦争も、裏を返せば食糧危機から来る人口の削減制作にあるが、国民を数字に変えて人格を拝した後で、煌びやかなだけの椅子に座り続けている国の当主が外交の折に見た海外の文化や兵器に目がくらみ,国民の金をどうにか使ってもっと西洋的に超え太るために生活を顧みずに行なっているらしい。
その不満の吐口として作ったのが「えた、非人」という格差政策らしく、何かにつけてそれが悪いと言うことで満たされるのが人間ということなのらしく、この政策はいまも一部の綻びしか見えないほどにうまく行っている。わたしは、生活の中でずっと男というものを見続けていた。なぜこんなふうにして世間は回っているのだろうと思いながら家事をし、炊事をし、育児をし、あるとき、ふと思ったが,こいつらは、ひとりの子どもすら産めないのじゃないかと思った。そうして、男のような使いぱしりが、気ままに国の中を,人様の家庭の中に居座るようになった。あちこちで起きている殺人や政治犯の取り締まり,抹殺も、さも国がそれを取り締まり,国民を守っているわうな口を聞く裏で実は,国と繋がりのあるこの組織が行なっているらしい。そうして居座るようになった男は、あるときからわたしに酒を勧めるようになった。その中に入っていた薬のせいで寝入ったわたしを無理やり遅い,自分の思いを遂げるのが日常的になった。わたしは、相手がいついなくなるのかとそればかり毎日考えるようになった。子どものやまいはようやく治り,可愛らしい顔でわたしに話しかけるようになった。わたしはようやく安堵し,それも束の間の安堵と幸福で、またすぐにでも夫や子どもをうばった国がわたしたちの作ったものを壊しに来るのだろうと知っていながら,家庭の畑をたがやし、わたしはそこに花を植えては夫や、一番上の息子を待つようになった。けれど、いつまでたっても遠縁の親戚というのが増えるばかりで自分の知っている顔は帰ってこなかった。あるとき、男は「自分はこの社会には存在していないのだ」と言った。わたしは、なぜかと尋ねると,男はかつて自分は臨んで戦争に行ったのだという。自分は教科書の1ページすら読めたことがない。入った会社も数ヶ月でうまくいか無くなり、見た目も良くない自分は劣等感だらけで生きている。そうして国に帰って来た暁には税金に頼る以外他で生きる場所などなかったと言い,けれどそんなふうに若いに任せて、家庭や自分の来た道を一度も顧みることもせずに戦争に行ったせいで周り同様に手も足も不自由になったあげく、最近では頭もいかれてしまったのだという。きみは知らないだろうがそういった男は未だ何びゃくにんもいるのだと言い,お前はそれをどう思うと尋ねるので、わたしは黙り、そうするうち無言を同調だと捉えた男は何も言わなくても自然に話し続けるのだった。男は、自分はもうこの社会では居ない者も同然で,もしどこかへ行けるのならばいま自分の手に渡されている密輸の話くらいしか無いといって笑った。わたしはいったいそれはなんなのか,まるで賭け事のような話だと思いながら半笑いで聞いていたが,男はそのように絵空事の話をするときは至って真面目なのだった。男の顔を兼ねてから見ないようにしていたが、その時に顔を見てみると確かに爛れた皮膚に虫がはったようなあとがいくつかあった。子どもの新しい皮膚と比べても、ゆがみ、何かがもっと醜く歪めているように思えた。男は顔を上げてどこかを眺め,ゾッとしたのは、他人をそうやって眺める時の目で、わたしはいつもそこに動物が居るように思えていたのだった。

ーかつての夫や子どものことを思い出そうとする。かつては、わたしにも確かに家族がおり、友人がいて、自分の仕事や、畑もあったのに、国がそれをすべて奪って行ったのだ…。わたしはこれまでにもいくどもその事を考えたが、今そこで,男の都合の良いばかりの話を聞くにつれて、そうしているうち、わたしの身体の中でも流れている血があり、それがつねにたったひとつの行き先を求めてもがいているように思えた。

「殺せ」ー目は血走っていた、そうしてそれは夫が、あるいは子どもが、戦争に取られて行った息子が、そう言うのかもわからなかったが、わたしの中にまだ残る感情のすべてで、目の前の男を殺せと言っているようだった。それは胸が悪くなるほどのうねりだったが、殺したいのはその男であり、国であり、もしかするとここにいるすべての男のことかもしれないと思った。

その日の夜,子どもが寝入ってから、またその男はわたしのことを無理やり抱こうとするのだった。わたしは毎日、毎日男の衣服、汗や口臭などを嗅がされつづけるようにただ苦いものを味わうようにひとり顔を顰めているだけだったが、その最中に、男は突然思いついたかのように「夫としていた時のようにしろ」と呟いた。
わたしは「なぜか」と問いかけた。男はしばらく黙っていた。
あたりは真っ暗だったが、わたしはその時から幾人もの過去の声を聞いていたような気がした。そうして、男はいつものようにわたしの上を制したあとで、それからまるで地などないかのように、空を見つめているような感じで,それから何者でもないような声でーいつもの通りに「そうしていることで俺が、勝ったような気になるからだ」と溢した。






















































に‐げる
【逃げる】
《下一自》
1.
(捕らえられない、または捕らえられたままでいないように)危険を避けて、相手の力の及ばない所へ去る、また身を隠す。
 「敵前から―」
2.
避けて、不利な情況におちいらないようにする。
 「責任を―・げてばかりいる」

不意に…小説②

何もかもが終わった、、、と思った。いろんな足りていないものが揃って、やっと何もかもが分かった。やっと終わった。本当に終わったと思う。親切な介助人から一体なんでこんなことになったのか分かる?と問いかけられて、わたしも考えてみる。「あまりにも簡単すぎるから」と応え、そう、そうなの。と言われる。それはあまりにも簡単すぎた。色々なことがお膳立てされ過ぎた。問い詰めれば皆違う事をいうが、実際、YESかNOかを迷うひまもなくボタンは押され続けたのだ。わたしは女たちを思う。それから、もちろん親しい人たち。わたしはその人のことを毎日思い出して見て、忘れていないと安堵する。それから、あそこに居たリーダー格の男。黒毛の方ではなく、眼鏡をかけた、リーダーをきどっている男の方のやることを、自身に重ね合わせて見てわたしは思う、わたしだったらあんな事ができただろうか。わたしだったら、自分の赴くままに気にいると気に入らないを分けて、それを言えば、必ず皆がついて来ると疑いもしない、まるで幼児みたいに、自分が疑わないのだから皆も疑わないことを、その遊びを続けようと思い続けられたのだろうか。

わたしはその遊戯を実際に何度も見た。もし、このことに、同じように傷ついている人がいるならとふと、昨日は考えた。わたしは差別に慄いているのではなく、染み付いた性質のことを思うのである。その人たちが実際に愛されていることを思うのである。わたしも一度、やって見たいと思った。実際にはそれができると思い、わたしは誰かを指差して、その想像の中では糾弾して見る。けどわたしの憎しみは終わらないため、それは遊戯にはなりっこない。

わたしだったら殺してしまう。単なる遊戯なんかではなく正義や復讐、考え尽くしたあとの正常な未来をねがう、それが世界への真摯だとして何の疑いもないまま殺してしまうだろう。あんな人たちは生きているべきじゃない。とにかくわたしの対峙していた世界はそうで、でも自分のこの性質はいったい誰が救ってくれるんだろう???それこそ、毎日それを考え続けたのだった。わたしは結局わたしを傍観することに長けた。そうして何もかもがどうでも良くなった。

とにかく仕事はもう終わったと思った。そのことを引き連れて来てくれた従兄弟への感謝も少しずつ湧いてきた。わたしがその期間の長さやわたしがあらかじめ従兄弟という人間を分かっていたこと、なによりも知っている人だったこと、そのことを電車の中でずっと考え続けていたかった。わたしはこういう暮らしをしていたから、時々、とても腹が立ったりとても悲しくなったりしてしまうが、従兄弟といる時は自分にない事を沢山引き連れて来られてもあまり戸惑わないのだと思った。やっぱり自分たちは兄弟みたいだと思う。

自分達は生き残った、、、、そう思った。座ったまま、なんとなく、自分の手の中のものを握りしめると実感が湧いてきた。自分たちは、沢山のしかばねの上で、それでも生きている。

わたしは自分の命をステージにあげられるのを見てどうにかしなければならないと毎日考えた。わたしは、彼の中に残っていたわたしのことば、わたしの中に既に当たり前になってしまっている彼の存在、言葉を思い出してみて、ああやっぱり、自分達は体が弱いからじゃないだろうかと、そう思う。もしそうでなかったら、わたしたちが何でも食べられるのだったら、それでもまだ笑って、なおかつ…男たちのように大きくなれるのだったら世界はこうはならなかったと思う。

 

いっぽうで、忘れてしまう人のこともたまに思う。わたしは本当に客観的に彼のことを可哀想だと思う。わたしのこころにはそれに対して与えられる分の親切心もあるが、けどわたしの正義はそれを決して許さないだろう。物語はこれで終わりで、わたしは膝の上に載せた本を閉じた。安堵した。心の底から、わたしは選択を、生きていたことを喜んでみたかった。

それからその物語がかすかに日常にも繋がっているのかも知れないと思った。

わたしたちは何を話したっけ?

彼は彼みたいにならない事を苦しく思うのかも知れないが、それはわたしが人生の中で手に入れたことのある苦しみだろうか?と思う。不平等は、いつかつり合いを求めるんだろうか???

そう考えていたけど、自分が思うよりも、わたしは日常に戻るべきだと言われる。わたしもそう思う。そこにたしかに、ずっと前からもっともっと太い営みがあるはずで、その中にはもう既にたくさんの光が育ち始めていた。わたしは止められていたが、ずっとその蓋を開けてみたかった。話せばきっと皆、よろこぶよと背中を押されて、実際そうで、幼児みたいに驚いた。

不自由さから見れば、それから、倦怠の募る仕事、上司の顔、女や男たちの前にいる時から見れば、それはもっとたくさんの声にみえた。…わたしが最初に世界に対峙したとき、たしかにまだそんな感触があった。皆その中で勝手なイメージを育てて、皆が目の前に誰もいないままで、いまだにそのイメージを追いかけている。だれかが勝手にだれかに名前を付ける遊びは迷子が続出したのだった。わたしもきっとその中のひとりだったのだろう。