To be continued

単純な日記です。

9/2

最近、色んな女の人と会う機会があった。きっかけは、僕が何かを書いている時に「女の人っていうのは」ていう話をしてしまったからで,それ以降、周りの文学を片手間にやっている人たちがわざわざ,自分のもとにいろんな属性の女の人を連れてきてくれたからです。それで、会っていて自分は感想を抱く以前にそれよりも,とりあえず自分は不可解に思う出来事があったらまず、死ぬほど頭を使って考えて相手の行為まで遡り,行為以前の「意図」を探ろうとするところがあるんだけど、自分が、これほどチチパイをぶら下げてわざわざ人の頭を叩きにくるみたいは属性のオンナたちが集ってくるのは、まだ「文化」が生きているせいではないかと思った。その、文化=まんじゅうこわい の中に入れられて,自分は、ほとんどついうっかり…の延長にいれこまれて、ほんとにうっかりでも、こういうことをもう言わない方がいいのかもな。って思った。自分は、たしかにいろんなことを複雑に考えてしまうところはあるけど,でももう、とっくに恐怖症みたいなものも乗り越えていると思っていて,そういう時期は過ぎたのである。それを言いたかったんだけど,でも数で来られた時は結局全受け身になって,柔道のたたみにばんばん打ち当たってるしかありません。それでもって、自分がまた考えていたのは、女っていうのは、そういう比べられるためのものを沢山ぶら下げて生きてるものなんだなということ。

まあそれはいいが,とりあえずそういう「視点」もあるのはいいとして,自分の気分の方がなかなか変えられないのはあまり良くないなと思っていた。

でも改めて考えてみるにそういう「視点」っておじさん達が作ったものですよね。それで、その視点」に入れられてる間は確かに自分は息ができないとは感じているようなのである。

それから、それをなぜ書こうかと思ったかというと、随分時間も経って,生活の方からも離れている女について改めて自分が考えなおしたのは、やっぱり自分の属性について改めて考えたくなったからだと思う。それから、あまり書いたりはしていなかった自分の人生の多くを覆っている「性」について、改めて多くの行間を使って詳しく書いてみることで自分の中で何が起こるのかを知りたかったっていうのはあります。

でもいろんなものを書くにつけて、ほんとにこれは単純に「書く」「しるす」だけでなく、多くの経験,多くの人の顔を思い出して,その経験がなければ全く書けないだろうなと思うし,自分ていう存在や、誰かっていう存在がそんなふうに人の中で思いがけずに生きて,動いてるっていうことがあるんだなあというのを最近は知ったのがよかったと思います。

なので自分が書いてる間はもちろん感情移入をしてしまったりはするんだけどかなり遠い場所の出来事で,自分の場合はそれも経験をもとにつくった完璧なる「フィクション」です。なので周りの人たち人たち,自分の興味とかを丸出しにしてまんじゅうこわいを再起してやってくることのないようにお願いしたいと思ってます。