To be continued(お掃除期間)

単純な日記です。

僕の、わたしのやり返され期間

こんにちは。正直いって、これはお前がいうな感が強いかと思いましたが、のちのちのためにまとめておこうと思いました。

世の中には人から好かれる人、嫌われる人がいる」と多くの人は思っていると思います。が、わたしは◯年間生きてきて人と人というのは大してそれほどの資質の差はないと感じるようになりました。好きな人、それから嫌いな人…それって、はっきりいって個人的な好みですよね。だから、必ずしも嫌いな事をされ続けてもそうで無い可能性が何故かしら見えて来る時もあれば、好きにならなければならない相手でもどうしても好きになる理由がみつからないみたいな場合もあって、そういうとき自分が世間一般と当てはまらないため割合苦しみを感じてしまったりすることがあります。ですが経験上一度仲良くなれば相手が世間的に良い人であっても悪い人であっても、自分にはその問題がそれ程関係がなかったりします。こういうケースはわりと沢山ありますね。じゃあ、悪人ってどういうものなんだ?or善人って単純に自分によって都合がいいってことだけなの?みたいな。五月蝿い人間ってそういう部分をわりと突っ込んでくるので「おまえは自分にとって都合のいい人間を選んでるだけだ」みたいに言ってきて余計な事に頭を悩ませなければならなくなります。で、思うに、この間読んだ自己啓発本にも多分書いてあったんですがひとが嫌われる過程ていうのはスペックやお行儀の良し悪しにかかわらず、単純にソイツが顔を合わせるたびに余計な事ばっかしてくるってことなんだなと思いました。

これは、空気を読まないとか、趣味が異常だとかいうことじゃありません。あるメッセージ性をもって、自分に問いかけや強制、親切みたいな余計なことをして来るということです。

とにかく人と自分との区別がついておらず、自分内にかっこたる「わたしたちにとってのより良い世界」がある。そのせいで、他人が今やっていること、これからやりたいことに対して想像力も及ばずに、繰り返し「こうした方がいい」「こうしないほうがいい」というメッセージを送らずにはいられない人。こう言う人。それで、逆に言えば、もし趣味が鼻くその化石を集めまくることだったりしても、対面している時にこちらのことを肯定しかしてこないとか、良い協力をしてくれるんだったとしたらそれは善良な人間と見做しているんだと思います。ある一定の領域をお互いに認め合って、お互いの変な趣味は常に守られている、ていう常識。これがないのが余計なことをする事でなぜか自分だけいい人になろうとして来る人間です。これが、わたしが言いたかったことです。こういうのがスペックに関わらず嫌われる理由だと思います。かっこたる侵害をいろんな言葉によって置き換えて、常に正当性のある自分好みの未来しかみえておらず、それによって起きた損害に対しては常時で蓋を出来る…みたいなこと。

ゴキブリが嫌われるのは姿形がキショイからではなく、かっこたる攻撃を仕掛けて来るからなんだと思います。だいたいのフォルムが似ているカブトムシも、わたしは気持ちが悪いと思ったりしますがカブトムシは、水槽の中に入れられたらそれ以後そこに居ようとするくらいにおとなしいです。いきなりこっちを、びっくりさせたりもしないところが可愛がられている所以だと思います。でもゴキブリや、水草にくっついている訳の分からない原生生物みたいのは水槽を這いまくりお掃除しようとする人間の手に絡みついて、そのまま世界の穴という穴に入りまくって増えていくみたいなイメージがあります。

だから結局、いい人が気持ち悪く見えて来るという理由になって来てます。

なのでこの場合、良い人悪い人根性がまがってるなど関係がなく余計な事をして来るというだけで、それは「嫌い」って事になってて良いと思います。だからいくら勧められてもわたしがネバ山ネバ子さんのことが好きになれない理由もそれで、それは彼女がわたし達がまったく知り合いじゃない時点から勝手に、「姉」みたいな立ち位置を得て周りにいろんな有る事無い事を吹聴しまくるみたいな余計なことをしてるようにどうしても見えていたからです。わたし、そういうの本当に嫌なんですが、そのことを親切なベールで言いくるめられると何も言えなくなってしまいますよね。そういう全てが嫌なんですが、ジャイアンの親切心ていうのはもっともっとデカい声だったりするので、こっちは常に消耗するのみ。

で、自分の経験があるのはずうっとくっついて来る人がずっと「自分はいい事をしてやっている」「それなのに何故、感謝されないのかわからない」と思っていることでした。本当に本音をいえば、全く何もしてこられなくて大丈夫です。
これも自己啓発本であったんだと思いますが周りの人と折り合うときにどれだけ余計な事をしないでいられるか」っていうのもある意味で大事なんだなと思いました。「しない」という選択っていうやつです。

話は全く変わりますが、この「何もしない」っていう選択はこれからも必要になって来ると思います。例えば今、富を得た人となんのズルもしなかった故に得てない人の差が明確になりつつあるとき、これからどう生きたいのか、どう生きれば正解だったのか?という最終的に行き着く先のビジョンが優勢者には全く何もなかったんだというのがダメな部分だったんだと思います。否定系をもって自己を確立したあとで、否定で利益を得るのみで最後まで一体何をしたのかもわからない。最後、◯転換しておわり…って一体ナニ?それで持って経済活動の方に人格を合わせてゆくのが常で、三人ともいうことにはもっともっと、増やしたい、儲けたい…そうなっていくのが悪だったんだとしたら、私たちはいま、家庭が大事なんだと気づいたんだと思います。家庭、それから半径十メートル以内にいる親戚、友人、それが充足されて、皆が幸せっていうのが、これ程トラブルがあり、価値が暴落したあとでもひとつ欲しかったと言えるビジョンなんだと思いました。人が築ける土台、それから消費するエネルギー、本当は限られていて、もっともっと減らしてもいいって何故か言わない。「要らない」って言わないで、危ないだけの賭けに乗る。わたしは、もらわなくてもいいと思いました。自分が通って来た道を否定することは本当は出来ません。けど良くない未来は生まれさえも変えてずっと続けていくという意志であったように見えました。それからもちろん家族のなかが保たれていれば、もっと半径を広げてもっともっと皆が幸せになるといいと考えられるようになるって思います。そうなった上でのこれからの選択で「これにイエスを言わない」「これを買わない」「他人に対して強制力が働くような余計なことを常々積極的にしておいてカンケーないみたいな顔でゲハゲハ笑わない」ていう選択はもっとあってもいいんじゃないかと思いました。CMや政治家、マインドコントロールを続けた上での末路をもう、散々見てきた後でそう感じていました。



やり返しについて思ったこと

で、話は変わりますが、やり返しについて思うところを書いてみます。人が何かされたら必ずやり返したくなる、効果なんてないとわかっていても必ず一歩前に出て何か言わないと気が済まない、どうしてそんな無駄なことをやるのか…自分はこれが何故かと考えて、単純に恥ずかしいと思うからかと思います。恥の気持ちを感じたく無いが故に相手にやり返すことでそれを精算します。そうすることで何か具体的に思想を強化したりすることなんてできず、ただ同じようなことを他人の領域でやってやったと言うだけなんですが、とにかく攻撃的になることで人っていうのはいろんなことを忘れ去る事ができる生き物です。

なのでこれは年齢が上がって自信がついて来るほどにやり返しをしなくても済むようになるんじゃないかとわたしは、あるときに思いました。それはだいたい人から言ってこられることが相手の調子とか、「今までに起こった数あることのひとつ」て類推しやすくなるからだと思います。

で、誰彼に対してもやり返しが終わらない人を見てみれば単純に人生が炎上しているみたいな場合もありますね。そういう人はほんとに、「自分がなんだか分からなくなりつつある最中」にあるんだと思います。本来だったら扉を全て閉めて、自分の心の従う方向の人間関係や仕事をきちんとこなしていかなければならない時期ですが、炎上しまくると炎上に人格を乗っ取られるのか、めちゃくちゃにハゲ散らかしていてもとりあえず、その時点で言い返せば安心みたいなフィールドに入って来るようです。なので、これから、やり返しや言い返したくなったときにはやり返したいマインド=炎上に足を踏み入れることなんだなって考えるのもよいかもしれません。手負の熊からは何も得ることが出来ず、百万人からメッチャ笑われていると言うことに早く気づいたほうがとくなんだと、気たいた方が結局は相手に勝つためにも効率的です。

わたしの場合も、自信があるっていうわけではないですが、殆どの場合やり返しをしなくなりました。なんでかというと、相手に恥をかかせまくったイコール勝ちではなくて、のち数ヶ月のうちにだいたい逆効果だったと分かるというのことがわかって来ました。やり返して、その場ではスッキリするかもしれませんが、相手はだいたいその瞬間に「やり返しのやり返し」みたいのを考えてるからです。わたしも思いましたが、コイツ、ぶっ殺してやると言うくらい明らかに記名式で相手を恨ませる事ができる…これはもう、はじめからあなたの負けです。100%やり返されます。わたしは、それでやり返そうという誓いを忘れないようになりました。

で、こういう双方が発端さえも忘れ去っているような感情論のみのくだらない喧嘩、これはどっちかが大人にならない限り、えんえんと続きます。これは真実です。もし、あいつの顔も見たくもないとか、もう二度とこんな喧嘩したくないと思うんなら自分の幸せがなんたるかを考えて、ものすごくハッピーだと言うことを公然とやり続けた方が良いです。相手が自分以外の誰かにめちゃくちゃ興味を抱き、なおかつ愛を注ぎまくっている…

こんなふうに「自分達の炎上に興味がない状態のα」という事実だけで一億くらいの持続ダメージを確実に与えられることになります。

ついでに自分が、なんでやり返しをする意味がないのかをまとめてみました!

①相手には「やってやった」という意識すらない

大体はこうです。まず、知り合いでもないし知らないフィールドの誰かに放ったものを相手は覚えてすらいない。だから相手をあなたが反省させることなど出来ません。そもそも相手の反省に繋がらないことをあなたが、ターンをつかって何かをすることが=ゼロ、もしくはマイナスという事になるんだったら黙って、何事もなかった顔をしていた方がいいです。こういう時にまず双方が知り合いになるて言うことに目を向けてみるのもいいかもしれません。その後で「あの時実は…」と言ってみる。

で、おもむろに次はやり返しをした方がいい場合です。

世の中にはやり返しをしなければならない場合も割にたくさんあり、何故かというと損害が出ているため&被害が永続的に続く可能性みたいのがあります。

①個人的に名指しで批判されている

これは相手は意識的に悪意をもってやってきています。が、これもやり返そうというんではなくあくまでチャンスだと捉えましょう。つまり相手が社会における赤ちゃん相手だったとしても懇切丁寧に教えてあげれば「わかった」てなる場合もありますね。

あとは個人的な場合ですが悪口って、はたからみてるとだいたい「一理あるな」みたいな事も多いんですよね。そういうのに否定の言葉を返すと「恥ずかしいんだな」と見破られるみたいなことがあります。ガッチリガチガチで返しておきたいのはこう言う時かもしれません。こういうときは、野球の試合が今から始まったんだと考えて返す言葉をいっぱい集めてみたりいきなり芸を披露してみたりするのもいいかましれませんね。こういう「まったく知らん人の言って来る悪口、だいたい合ってる可能性」みたいのは普段から自己反省的に生きてこないとなかなか理解できない部分じゃないでしょうか?そういうのは賢人の如くスルーして、優位に立った途端にぶちのめすみたいのも一理あるかもしれません。

自分は思ったんですが、こういうとき思うのが「だったらお前は何が出来る人間なんだ」という問いが常に社会人の場合、浮かんでくるんじゃないかていうことです。ネットニュースを見ていていろんな所属に対する疑問定期や悪評が見えて来ますよね。それに対してワアワア言っていて、そうしたら次の日自分の方にその倍くらいの矛先が向いて来ていた…これははっきり言ってよくあることです。悪口を言うことで目立ったんだから当たり前のやり返しなんですが、こう言う時じゃあお前は、一体何が出来るの?って周りから思われているんだと感じませんか?いや、何も出来ませんって思うんだったら、じゃあ初めから何も言うなよってそのときになりますよね。けどこつこつ仕事に従事して来た大人がやったことに対してやった分だけ怒り狂うんだったらそれは正当性ってことにはなりませんか。これからプライドを持って生きることを考えれば、日本人はもっとやって来たことにプライドと誇りを持っていてもいいんじゃないかと何か思いました。日本人って本当に自己主張イコール恥だと思うと言うか、だからネバやまさんみたいのが根本的に嫌いみたいな、だから一歩下がればみんなが素直で皆が善だと信じてるみたいなところあるじゃないですか。
日本のおじさんとか強い人が怒って欲しいですよね。昔栄えていた文化って本当に良きものだったと思いますが…

次に②集団で同じことを繰り返しやって来るです。

こちらは、集団なので被害が大きく、また長期間続く可能性がありますね。わたしは常々、人間は論理で出来ておらず、本能でこねくりまわして作った塊だと信じているので、こういうのは公権力や偉い人に頼って欲しいと思います。小さい人、女性、文句を言えない人を攻撃し続けて来る理由なんて優越以外にありません。いやな癖を拗らせてるだけの相手です。

何か出来なくてもせめて「これは悪いことなんだ」という認識は持たせてあげたいですね。

割とこう言うのは被害もデカくて実質損してる、訴えてもいいみたいな要件も隠れてることがおおいのでは。相手も無感覚ですし、わたしも、思い出すだけでヘラヘラしているヒカキンみたいなファッションに対して腹が立ってきます。

③本当にどうしようもない人間

相手がクズだったってこともあります。これは、返さないと相手の快楽の標的にされます。

「いじめたい」って人間の本能であるんですよね。特にゲーム、勝ち続けているなかに置かれると面白半分でイタ電とか悪戯とかして来たりこれは、よくある事です。もちろん仲間でやっているため反省などありませんね。こういうのがヤンマガみたいなのでもあるファッションとしてなんか栄えてんなーって思いませんか?クズヤンキーみたいなのがブームなんですかね。言っときますがそれは、何もやってないし格好良くもないですよ。中高生の時点でそういうのを終えてこなかっていうイタさがまじ恐怖でしかありません。関わりたくなし…

ただそれがマスコミとか本とかで流布されてきてる自分にとっていじめてもいい相手っていう部類に入ってきてるだけでやってきたりすることも多いので。これは、相手が判断力のない人間と見做してあまり深入りしないようにしましょう。とっても危険ですし、あなたは悪くないですし、そいつらが勝手に自ら痛い目にあってくれるのを願っています。

やり返す→これはそのタイミングできっぱり告げるのが大事だなって経験で思って来ました。わたしは見た目がちっちゃくて話し下手だからか、よくからかいの対象になるんですよね。それに、嫌だなって思ってもすぐ感情的になるより「こうあるべき」みたいな話をして結局聞く耳を持たれなかったりするんですが、思うに、論理的に批判するより「もー、ヤダ!」「あー、しつこいな!」って嫌そうに吠えるほうが効くんだなって思いました。そういう本能的な叫びっていうか、正当性いっぱいになってる「あー!!💢」ってほんとイヤみたいですね。そもそも、甲が明らかに嫌な性格だった場合には人は嫌がらせしてこないです。ある意味、つけ込めるような隙とかがあるから来るんですよね。「わたしも悪いのかな?」て思う人に来るんです。「いかなるときもわたしは悪くねーぞ!」みたいなめんどい人間にはいくらイタいとこがあったとて来ないですね。

自分のやられた細かいとこは忘れるようにして、メリットだけを取るつもりで半分は我慢する…てことです。実質、がまんがまんの連続ですね。わたしはそれ以後、魚拓みたいのが取れたらそれだけでヤッターって思うようになりました。今日はいっぱい取れたーみたいな。それから、だいたいは事実ってその時の気分や他人の意見でねじ曲がってきて、長引くほどややこしくなるんだなあと思います。「よし、じゃあここで手打ちにしましょう。もう全てやめて、原点回帰して何が悪かったのか考えなおしましょうか?」って言われるともやっとしますよね。もうその時点で感情の虜になってるんだなってまず自分だけでも気づいておき、相手とそうなってるんだな、だから、今の時点で表にでたらダメだよなって思えれば、非合法ではなく正当な人生としてのやり返しに通ずる第一歩だと思います。なのでまた、喋る人一人増えたなって毎日なるような際限知らずの復習心のカタマリみたいな相手の場合はもう、ある程度やって「黙って耐える性分じゃないぞ」というのが伝われば逃げてしまってオッケーだと思います。

相手の気持ちよさにこれ以上付き合うつもりはないぞということです。

以上ですが、人は、悪いことの後でいいことがあるって思いますよね。でも、それは嘘です。そんなループにはなっておらず、自分の「やったこと」がそのままいろんな形で返ってくるのが人生で、またそのリアクション先も想像がつかないほど無限の人間がいるんだなって感じます。いいことがある…それはたまたまだし、悪いことがある…それもたまたまなんだなって。

だからこそ感謝も必要なんだなと思います。




追記】わたしの思うに人の間違えてる状態っていうのはなかなかないと思いますが「わたしはこれだけやったから凄くて、偉くて、皆から感謝されるターンに入った」という状態はいかなるときにも間違えていると思います。わたしは言いたいですが好きな人、尊敬してる人は膨大に居ても「偉い人間」というのはこの世に存在しません。毎日日常に従事して、価値のないものを模索するのが人生だと思います。だからわたしも知り合いの人にのみ言いたいのですが、自分の行動が感謝を受ける側の体制に入ってる行脚みたいになってきたら(例…頼まれてもいないのに感想を言いまくる、他人の役に立たないことをしてるだけなのに文句を言われたら5秒で腹が立つようになる、一言で言ってイズイコール飲み会だみたいなことしかしてない)クリエイトを自負する身分としてはかなり要注意だと思った方がいいです。







ーまとめー

世間一般的に「嫌われやすい人=誰が見てもバカ」「好かれる人=誰が見てもお行儀がいい」と言われがちですが嫌がらせしてくる人やしつこい相手って世間様に対しては自分のいいとこをアピールするのに長けてて、嫌い、むかついたって理由だけで何かやって来たりしませんか?だからなぜあなたがあの人のことを嫌っているかわからないと言われて苦しくなってるとき、そういうオブラートに包まれたジャイアンに対しては常に自分主体で考えてみると分かりやすいかなって思いまとめてみました。

何度も付け足しましたがこれで以上です。これからは、僕のことも飲み会誘って下さい。