To be continued

単純な日記です。

12月28日

掃除のこと

年末の仕事をやりながら、大掃除も少しずつやっていた。自分の使っている机とか物置を整理したりしていて、雑巾掛けもしたりしていて、水を絞ってまた拭こうとするとどうしても、埃みたいのも沢山出てくる。それを手で取ったり布で処理したりしていくうちに、なんとなくそれでもまだそのへんにカスというかゴミ粒見たいのが二、三粒くらいあるのに気づいた。自分は、しょうがないからそれを手で取ってゴミ袋に入れていった。でも、少し視線をずらすと右15センチ横くらいにまた同じようにカスが二、三粒くらい落ちていることに気がついた。だいたいきれいにしたのにと思って自分はこれを見てみたんだけど、カスみたいなのは黒いかたまりとか肌色のおかきのつぶみたいのもあったりして、元が何かはわからないんだけどとにかくぱらぱら散らばっているのがどんどん自分には見えてきた。今しがた片付けた空間を見て、とにかくピッカピカになるという事もなく、カスがまんべんなく散らばっている…ような気がして自分は一瞬立ち尽くした。で、また掃除を継続すべくカスをとりまくっていたのだけど、取っても取ってもまだある状態を見ていて、これは一体なんなのだろうと思って、考えていたのだがこれは掃除をするべくゴミが蓄積されていたっていう状態じゃなくて、そもそも、人のいるところにカスが常にわいてくるんじゃないかと思った。だから、カスは誰がどうやって落として行ったとか、雑巾からこぼれたとかでなく、たんぽぽの綿毛みたいな割合で床の上にあるんだと思った。あるんだ。うん。自分はその、掃除の後半の後半にわいてくるカスみたいのと地味に戦っているうちに、かすかに「もう、無理」みたいに聞こえて来ているような気がした。仕事をしている人はわかると思うけど、真面目な人は100%の完成をみるべくそれを頑張ってやる人もいる一方、自分は、これを100%きれいな状態にしたいと思ってやっていると、こっちの方がイかれてくるんだろうから、カスと戦うのマインドにもはやならない方がいいと思った。
とりあえずの結論を出したい自分は、考えると一人でずっと三日三晩くらいこれをやり続けていたと思った。それで、横目で皆が仕事をやり終えて行ったりしているのを見ながらずっと掃除をしながら、誰かが褒めてくれるとか十万円を持って来てくれるとかじゃなくカスが湧いてくるみたいな結果になることに一人でに今、腹が立ち始めているんだと感じた。 



カラオケの街と、三角食べのこと

次の日くらいに、Rくんの家に遊びにいく事にした。Rくんの家は駅の近くの繁華街にあって、僕はそこに行くために電車に乗って向かった。R君の住んでいる駅で降りてから、その場で待ち合わせをしていたRくんと会う。それから、家へ行く前に繁華街を歩いて昼を食べるという事になったんだけど、そこには冗談かと思うくらいのカラオケ店が立ち並んでいた。自分の住んでいた田舎もそれほど栄えていたとは言えないけど、あっても二、三店くらいだったのがRくんの駅にはものすごく沢山のカラオケ店がある。自分はそれを見て「どう思ってるの?」と聞いてみたが、Rくんは「OK」と応えただけだった。駅の近くには、まあまあ落ち着いてる感じの店がつづいて、そこから離れて街深くなるごとにかなりガチャガチャした感じの店構えになってきた。自分らはそのカラオケ店に入ってみる事にした。カウンターにたどり着くと、そこに手作りの装飾メッセージとかが沢山置いてあって、ぜんぶ手書きのイラストだったので自分はほほえましいなと思った。自分は、カウンターのおばさんを見ながら、「やりたいからやってるんだ」と思い、でもなんとなく、「うっさいな」とは感じ初めていた。落ち着きを無くしてきた僕はそれで、Rくんとともに部屋に案内された。僕はその当時仕事以外の時間はゲームをしているか歴史の勉強をしているかだったので、店のスタッフの人に個室の中に連れられたあとでこまごまとした準備をしているRくんの背中に向かって、自分の今勉強している部分についてごちゃごちゃ話してみる事にした。例えば民主主義のことだとかアメリカの政治とか精神文化のことだとか、色々無意識に取ってはいるけどそれについて知るほどに自分の中に出てきた疑問、意見について、ただ、今R君がというより興味があることを自分はひとりで捲し立てていたのだけど、それは特に「いま」必要性があるというわけでなく今しがた吸い込んだ知識をカービィがそのままで吐き出したみたいな状態で、Rくんはほぼ、すべて気にしてない素振りで自分の入れた歌謡曲をチェックしていた。それで僕は、「歌いたいんだな」と思った。なんか知らんけど歌いたいんだなみたいな。で、僕は暇になったので部屋から出て店の受付の場に置いてあった日経新聞を持ってきた。それでそこに書いてあった特集のバイデン政権と世界における民主主義という特集の記事をRくんが歌い終わるのを待ちながら読んでみる事にした。カラオケ店に来て、ご飯も食べずに新聞を読んでる状態に対して自分は「どうした」と言われるかと思ったが、カービィの行動を止められなかったのでその場で日経新聞のほぼ全てを読み切る。それからいつもみたいに自分の中で一応まとめてみることにした。そうしてるうち、ふつうにカラオケ店に来てる奴みたいにしてRくんは歌い終えてから笑顔でマイクを渡してくれた。
「ありがとう」僕は言い、マイクを受け取ったが、Rくんがこの状況に怒っていなかったことに安心していた。多分それで「Rって、いいやつだな。」と感じていた。

それから数十分お互いに自由きままに過ごす。それからご飯も食べてみる事にした。で、僕は、カラオケ店で運ばれてきた弁当を食べながらふと、Rくんの方を見たのだが、Rくんはずっと弁当のハンバーグばかり食べているよなと思った。それで、とりあえず放っておいたが、10分くらいしてもやっぱりそのまま食べ続けているような気がした。見れば、Rくんの弁当はもはやハンバーグ残り三分の一、他の野菜サラダや煮物は100%の状態で残ってしまっているではないか。そこで自分は、「Rくんって、三角食べしないの?」と聞いてみた。僕はそこで、三角食べっていうワードを持ってきた事にザワッとしてしまったのだが、とりあえず自分が昔教えられたみたいに、三角食べする事で「ばっかり食べ」にならないんだよと教えてやった。特に弁当みたいな偏ったもんを食わされているような場合…

が、自分も説明していてふと思ったが、三角食べをしない事で自分みたいにざわざわしてくることはあっても、積極的に言っているみたいな状況にあるうちに、本当に困ることなんて実はないんじゃないかと思えてきた。もし三角食べしないせいで、栄養はあっても旨味が少ない良いとこを全部残すみたいな事があったとしても、それは三角食べっていうよりそもそも子どもだから食べられなくなるのであって、ある意味、どこを通ったとしても能力的に食べれる人なら食べ終われるのじゃないか。だから結局、しつけって言っても結果論でしかなくて、自分はあの時のババアみたいに、ただ五月蝿いことをやりたくてやってるだけに今多分見えていると思った。それで、結局無意識で弁当を食べた後でまた、Rくんの方を見るとハンバーグを食べ終わって、次にごはんとサラダを食べているところだった。僕はそれをみて「やっぱりな」と思った。
しつけするとか言っても、自分がちょっと言ってみたくらいで大の大人がすぐさまそれをやるわけが無い。思い返せばだから自分も、とりあえず言ってみただけの時点だったと思う。うん。例えば自分が他人を見ているときにでも、こういう「良いと思われる他人のやり方」みたいのがすぐに通ってるのをこれまで一度たりとも見たことがない。そういうのをお母さんとか部長みたいな奴がそれを一人で口を酸っぱくしていうにしても、当の子どもというのは本来どう足掻いても結局自分のやりたいことしかしないのである。この地球にいる人間は皆、根本的やりたい事しかやらない。僕が三角食べをだからやりたくさせるように仕向けるか、Rくんを待っているしか無いのである。例えば、そうしないといずれ困ったことになると言い聞かせるにしても、地球上にいる人間ていうのは殆ど皆困ったことがあったときに気づかない。だいたいの人は理由について考えたりもしないくらい元気な状態にあるので、にんじんを全部残した次の日にまた、親戚の子どもみたいにTシャツで氷点下の遊び場に飛び出して行ったりする。
自分は、そういうシーンを何度も傍観してきた。結局、こういう理想論みたいなのは、子どもの割合が大人より少なくなって初めて、だいたい「イチ対百」くらいの世間みたいな箱に入れられてはじめて、効果を発するんじゃ無いかと思った。だから、大人が大人しくて10人にも満たないみたいなときは、骨折くらい痛い目にあったとしても普通は体感的に「まだまだイケる」と感じている。で、思ったが、仕事でもいつも、論理的に筋立てて相手に言うべきだと言われるけれど、それによって話が通った事というのは現実世界では殆どない。だいたい、人と人とが折り合うのは相撲で勝った方が正しいというフィクションを吸い込まされてるだけのような気がした。

そう言う、当たり前の空間をこっちから、数の力で変えてみてやってやる。そうする事ではじめて他人も世間様の力を感じて「たしかに自分の方がまちがえてたな」と感じるんじゃないかと思う。