To be continued

単純な日記です。

お前はお前を救う。だから、俺は俺を救う。この真理

こんにちは。最近は真面目に仕事へ行って働いています。職場に行くとなるとやはり普通に生活しているよりもずっといろいろな人がいるので、特に大きな職場は正義みたいのも画一的じゃなかったりするから勉強になると思う。
この間までずーっと、仕事に遅刻してきていた年配の男性、入ったばかりで厳重注意を受けていたのだけど今日は遅刻せずに出勤。そうなるとなぜか唐突に優位をえたように感じたのか、他の社員に注意を始めたりしたので驚いた。
ものすごい「ちゃうやろ」みたいな感じはしたんだけど誰もそう感じてはいないらしい。僕も脳の一部分で感じ取った違和感のように聞き流そうとも思ったんだけど別に一回目でもないしなと思っておばさんにこのことを報告しておいた。
何故こういうことが起こるのか…職場での派閥争い、おばさんの中でのイチバン争い、なぜか知らないけどこういうのはいつまでもいつまでもやまない。そしてそれが大抵単なる泥試合にしかならないのは何故なのかを考えてみたのだが、【構造化できてない】とこにあるような気がした。
いいチームというのはあらかじめこれがきちんとしている。上司が存在しているのはどこも同じだけど、見本になる人を提示して「そのようにやれ」みたいのはザルみたいな仕事だと思う。そうじゃない!構造化だ!構造化をはかるのだ!

①なぜかというと、人間は構造に縛られる

泥仕合になる理由はそこにいる人間が他人や自分の感情を引っ張りあっている状態。ここに明確に問題とあるべき構造、おかしな部分を見つけて提示してみる。
そうすると、アラ不思議。その価値観、評価制度に今度はチームの皆さんたちがとらわれ、自分はどれだけプラスになったか…マイナスになったかを気にするようになります。が!その構造はチームの皆が考えたものじゃないのです。これって不思議じゃないですか?これもただ、はじめに「こうやってわけまーす」というだけでよいのです。まあ良い意味で差別化ですね。

皆馬鹿なんでそれは違うって意見ももってないから。
馬鹿なんですバカ。

②構造化出来てないリーダーはダメリーダー

構造化出来ていないくせして人のアラを探したり褒めたりしているリーダーは気分屋です。けど、こういうこと、あるの?っていうかも知れないけどほぼ、どこの職場でもあります。で、行き過ぎてしまってロッカーに隠れて人のものを隠したり盗んだりする奴が出てくる。結局それは悪感情のもつれというくだらない理由だったりするんだけれど…結局社員たちはそのリーダー、あるいは感情が強い病気のババアの気分に逐一縛られることになり、不満が続出。あちらこちらでバカがバカと応戦し合う泥仕合が見受けられるようになります。
会社なら仕方ないですが僕はアルバイトとか習い事とかみたいなとこでこういう現象が起きてあ、なんか話通じないなと思ったら即逃げます。

時間の無駄なんで。

③文学部が沈没したのはエモとポエジーに囚われすぎたせい

エモとポエジー戦争がいまの主流だと思ったバカが、その戦争でいちばんになろうとしたが、外の世界に行ったら別にいらないってことになって全員死んだ。

どこの世界でも特出してその場を引っ張っていく人は構造化がきちんと出来てますね。売れてる小説も同じだと思います。
構造化した時点で何か、聞こえないフリをしてくる人が沢山いるのですが、そういう人にはこう言っておきましょう。初めっからお前に向かってはなんも言ってね〜んだよ、バ〜カ!





死にやがれ!!



みたいな。