To be continued

単純な日記です。

僕がとかいうよりもとりあえず今、政治的な側面で別にこいつ死んでもいいってもう皆思っているんだなと思った。

特に僕が書く必要がないかもしれないけれど、一応記録として書いて置こうと思います

 

エゼカ・マギカにおいてスサノオノアバタはなぜ、他のプレイヤー全員からはめられ、追放されたのか

 

まず、周りの人たちとの意識のずれがあるのかもしれないが、僕がいちプレイヤーとして真っ先に感じたのが「こんなふうになることもあるんだ」ということである。

僕自身も、昨日は全身風邪による疲労と倦怠感を感じながらもプレイしていた。しかしもうここまでプレイの原則がしみついてしまっている現在、革命が起きたとしてもゴールも実相も変わるわけねえだろ、バーカという感覚が身体に染み付いてあったことを、アバタ以前に僕自身がもはや否めない。・・・この件は大いなる流れがいかにこれまでプレイヤー全体を支配していたかということを示しているし、今が流れが大きく変わる分岐点だということを、「猫が居た」事件以降再確認させられた事件として価値があったことを示している。皆皆様に「これはけっこう、マジかもしれないぞ・・・!」と思わせるためにスサノオノアバタはクズのモデルケースみたいに今回利用されたのである。それから、プレイヤーの追放はいちプレイヤー以外からもあると思わせる事件でもあった。そこに垣間見えてくる、信頼と絆でむすばれた家族の存在・・・(涙目でこの一文を書く)

今まではそれを本部に頼り切っていたことも一応書いて置きたい。その「なんとなくゆるっと追放」は再浮上の速さの原因になっていたし、いちプレイヤーに逆恨みを抱かせる要因でもあった。抑止力も恐ろし気だったり逆に儲けるみたいな件もありあやふやで機能していなかったと言っていい(※影の支配級プレイヤーの存在→傀儡としてのまどか)

 

いろいろと僕は情報を収集してみた。いくつか、ガセもあったと思うけれど興味深かったのはスサノオノアバタ本部からの書き込みもいくつかあったことだ。これはプレイヤーが自由を選択することで炎上する可能性が今の時点で生まれて来たことが理由で、あのときスサノオノアバタは明らかに炎上のその中枢の真っ赤な燃料として意見をくべ続けていた。プレイヤーが自由を選択することでほかのプレイヤーから密告に合う、これは先日アズマノヤマノミコトの件でも証明されている。(※引用元・q様)アズマノヤマノミコトはリアルではずっと「記憶がない」「確証がない」とすっとぼけていたことも一応書いて置きたい。

 

それから、なるほどと思わせてもらったコメント

 

①そもそも教育のされかたが違うため、根本的に別の種族

スサノオノアバタ達というのは選民思想が根強い。選民思想のある人と話していると驚くのは彼らの思想の根本に常にあるのが「打倒〇〇」ということで、それはいくら〇〇が譲歩しても、許しを与えても、厳しくしたとしても、覆ることのできない人格の半分以上を支配しているという事実だった。そこにあるのは人としての信頼、共感などではなかったのである。人としての関係が築けない人って、想像ができますか?とはいっても、悪い人だとしても日常的な共感や挨拶を積み上げていけば、信頼は少しずつでも築けるし人としての共感はいつかはできる、ていうかふつうに、ありがとう→どういたしましてのターンが全人類にはデフォルトで存在していると思うのが善良な人間である。けど、僕は精神障害を持つ人と選民思想を持つ人とは僕らの常識の範疇では最後まで相いれることができないのだということを今回皆からは教えてもらった気がする。

この二つは似ていないように見えるけれど、あたりまえにある考えがそもそも違うという点では共通している。僕たちはいくら人権を持っていると言われても、うんこを食べ、うんこを毎日投げて来て、そのごめんねの証としてチュッパチャップス五個くれるような人とは仲良くすることはできない。

 

できるわけがない。

 

②なぜ、規制を緩めたのか

本部がなぜ、規制を緩めたのかという意見があった。僕は、本部が規制を緩めていたという意識があまりなかったので、これはガセなのではないかと思った。それからむしろ心配としてあったのが、規制を強めることで起きる憎悪が増大することに対する危険で、ほかのプレイヤーが意見を言ってこないのもそこにあるような気がしていた。

なんといってもスサノオノアバタ達がエゼカのなかで幅を利かしていたことは否定できない。

ここまで考えていて、僕は父のことを思い出したのである。父、というのは家庭の中で存在感は大きかったものの、家庭に対してはむしろ邪魔な、コミュニケ―ションを取りにくく他人から見ても堅物すぎて恥ずかしい存在としてなにかずっとあったような気がしていた。だからほかの人間がいくら父に不満を持っていようが、それを言及するものなどいなかった。父がいないときに悪口の的になったり、ああはなりたくないみたいな掃きだめのやり場としてかっこうの標的としてあったけれど、父はそれを意識していたかどうかはわからない。あの、なんとなく父が人前に居るだけで恥ずかしいしわずらわしい、居てもまったく意味がないお荷物みたいな感覚を、このスサノオノアバタという難解なプレイヤーに対して今回、僕はかなり感じていた。
しかし、彼らからしても、なんといっても「家族」なために邪見にすることなどできない。もう、5つあるうちの席のひとつを彼自身もがっちりと踏みしめていて、そこに注がれる利益を享受することにかけては妹や弟なんかが飢えていようがおかまいなしに分け与えられたがる。やさしさも、理知もないその存在、ふるまい、ああ、家族って重い・・それでも毎日お腹が空いたというし、考えるだけで気持ちが重くなる、そういう存在なのだと思った。

スサノオノアバタが今回三回(~見えない五回分ほど)くらい勝手に、自己都合で、まったく機を顧みずに浮上してきた件で、僕たちに刻み付けていったのは、今までの流れの大きさ、選民思想の大きさ、のど元過ぎれば熱さを忘れるような性格を持つスサノオノアバタ組が今中枢を担っていて、その下に思いっきり「まどか」がいるということなのじゃないだろうか。

僕はまどかのこれまでの流れに考えをめぐらしてみた。まどかが監禁されているのは二年半。あまりにもそれは厳重な囲いで、幾重にもはりめぐらされた押し付けだった。僕は昨日、この重みでうなされそうになった。二年半・・・二年半・・・スサノオノアバタが三十倍にでかくなったというだけの、二年半・・・・・・・・・・スシローは車で一時間かけて行く・・・・

もしこの二年半で、同じような経験をしてきたプレイヤーさんたちがいなかったら、僕は今でもとっくに空しくなってエゼカを投げ出していると思った。

 

二年半、ともかくその中でいろいろな事件が起き、本部側も回収することはあったけれど大きな流れは変わらないというのが定説だったと思う。スサノオノアバタ側がいうには、「特定のプレイヤーが常に評価を下げられること、C、Dのランクに位置づけられることはもはや定説」だそうだけれど、これは確かにそうだと思った。僕もそう思っていた。多分誰しもが、半年前くらいまでは思っていた。が、ここで反本部の勢力が拡大してきたことを、僕は今回の件で知らされたように思う。僕は、本当にこれについてはありがとうを言いたい。エゼカという世界観をとりあえずのポーズであっても受け入れ、それから愛してくれる人がいたのだ。そしてその人たちがこれまでスサノオノアバタ組とコミュニケーションし、声を潜めながらも疑問を感じ続けてくれたこと、もしこれがなければ、昨日も小爆発程度の事件で終わっていたと思う。ありがとう。あとミルクボーイありがとう。和牛、辛子レンコンとかまいたちありがとう。

いつまでもこれまでの流れを信じ続ける者とそうでない者の思想と行動が最近、こんなふうに顕著になってきた。それから、スサノオノアバタはそれを体現するこれ以上ない駒としてはめられた。その疑いの原因は「光はノイズだ」事件だったのだけど、これについては片耳だけでしか聞いていなかったため、確証はない。けど、まったく関係のない僕から見てさえ随分、雑なくくり方をするなとは感じていた。

スサノオノアバタはともかく、そのポジティブすぎる面、長い反日教育により育てて来た憎悪を今回利用されたのだと思う。スサノオノアバタのポジ面についてはもうこれは、僕ははっきりいって「やまい」だと思った。病。この病にがっちり絡まっているのが本性格もあるけれど、エゼカのシステムにもあるのかもしれない。エゼカという世界ではギャンブル・ガチャを回すことで勝敗を大きく左右することがあり、つぎ込む額が多いほどにリターンも多く、また特権組織の中に入っていればかなり危険度も少なくて済むし、どれだけ雑なプレイをしても本部が常に救ってくれるという考えが根強くあった。これがスサノオノアバタの意識、というよりももっと深くの深層意識にまでつながっていて、だから地区フィールドのみならず公共フィールドの、自分のグループが居ない、いちプレイヤーではなく普通に人としての常識が必要とされる場面でも「トイレで飛べる」みたいな意味不明なことも彼はしゃべりだすんだろうと思った。よくいる、中高でゲームと現実の世界の区別がついていないみたいなそういうやつ。スサノオノアバタの意見、コメントを見る限り、言いたいことはこうなのじゃないだろうか。

だって今までずっとそれで通用してきたし、二年半俺はその中に根を下ろしてやってきた。何度もそれで他人が儲けているのを見て来たのに、どうして俺だけ、今更のようにはめられなきゃならんのだ。おかしいじゃないか。ずるいじゃないか。

 でもそれはエゼカの世界があってこそのだろ・・・!

 

 

 

 

というわけで僕は、僕がとかいうよりもとりあえず今、政治的な側面で別にこいつ死んでもいいって皆から思われているんだなと思った。